第0997日目 〈イザヤ書第16章:〈モアブの破滅〉2/2withロシア文学ファンと酒の席で会い、……〉 [イザヤ書]

 イザヤ書第16章です。

 イザ16:1-13〈モアブの破滅〉2/2
 モアブ、かの地を治める汝よ、破滅をまぬがれたくばシオンの山へ使者を送れ、貢ぎ物の羊を携えさせて。かの者は斯く訴え、斯く願う、追われるモアブをかくまい、追う者から逃れさせてほしい、と。すると主は、すみやかに正義をくだし、踏みにじる者を絶やす。
 なのに、モアブは再び驕り、傲慢になった。主の裁きによって追う者から救い出されたというのに、感謝を忘れて再び増長したのである。さあ、モアブのすべての者は泣き叫べ、キル・ハレセト即ちモアブのあるじのゆえに民は打ちのめされて嘆き、呻くがいい。
 モアブもわたしの果樹園であった、かれらの祖先ゆえに、イスラエルとのつながりゆえに。汝ら、モアブよ、わが涙に浸って溺れろ。もはやシオンに詣でる必要はない。「わたしは果樹園から喜びも楽しみも奪う。/ぶどう園で喜びの叫びをあげる者も/酒ぶねでぶどうを踏む者もいなくなり/わたしは喜びの声を終わらせる。」(イザ16:10)
 モアブにわが嘆きは満つ。そう主はいった。
 ━━「これは昔、主がモアブについて語られた言葉である。更に今、主は言われる。/『雇い人の年期のように三年経てば、多くの民を持つモアブの栄光は必ず終わり、わずかな者だけが残され、力は失せる。』」(イザ16:13)

 せっかく助けてもらったのにそれを忘れて(棚にあげて?)愚を繰り返す、とはよくある話ですが、ユダやイスラエルばかりでなく、モアブまでがその愚を犯した。うぅん、ユダやイスラエルがするならモアブがその轍を踏んでも、心のどこかで「ああ、やっぱりな……」と納得できてしまう。が、万軍の主にはそれが納得できない。悔い改めて正しい道に戻ったらば、そこから外れたりしないように自らを律して生きよ、それができぬならもう仕方ない次は赦すこともなければ情けをかけることもない、というところでしょうか。……主は寛大である、が、裏切りには容赦なく牙を剥いてそれに報いるのであります。
 ところで、引用したイザ16:13は、後代の書き添えでしょうか。つまりモアブが衰退して歴史の表舞台から姿を消したあとの? このあたりの判断は歴史家にでも任せましょうか。
 本章でもモアブの地名が幾つも出てきますが、「キル・ハレセト」は現代のエル・ケラクと考えられており(塩の海/死海の東約13キロ)、イザヤ当時のモアブの首都でありました。
 前章で七転八倒しながらモーセ五書やヨシュア記を読み直した恩恵か、本章のノートはさほど労なく仕上がったように記憶します。文意を損なわないよう聖書本文から若干離れた地点で成立した文章もありますが、それはけっして<超訳>ではなく、記事に対して忠実忠誠を守った結果である、と、ご理解いただければさいわいです。



 月曜夜、○井物産と三○不動産の人と会食(飲み会)。ロシア文学ファンが同席しており意気投合、現代ロシア文学についていろいろ教えてもらいました。充実の3時間であったことよ! ドの『未成年』を集中した読みたい!!◆

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