第0999日目 〈イザヤ書第18章:〈クシュとの陰謀〉with第0999日目を迎えて、……〉 [イザヤ書]

 イザヤ書第18章です。

 イザ18:1-7〈クシュとの陰謀〉
 (これは同盟国クシュ〔エチオピア〕から来た使節団への言葉である)
 幾筋もの川で区切られた国から海を渡ってきた使節たちよ、さあ行け、帰還せよ、自分たちの故国へ。
 世界中の人々よ、山に合図の旗が立ち、角笛が鳴り響く。そのとき、主は、花房に結んだ実が熟す前にそれらをすべて切り落とし、野の獣へ分け与える。われらを覆う力からの解放だ。
 「わたしは黙して/わたしの住む所から、目を注ごう」(イザ18:4)と主はいう。
 その日、万軍の主の名が置かれるシオンの山へ、あなた方の国から貢ぎ物が贈られてくる。

 クシュとは即ちエチオピアであります。クシュ出身のシャバカという人物が前716年、エジプト全土を統一して新しい王朝、即ち第25王朝を建てたことに由来します。
 シャバカはパレスチナ地方で拡大していた反アッシリア運動を支持しました。なぜならば、パレスチナがアッシリアの手に落ちた場合、アッシリアとクシュの間には障壁となるものがなくなり、たやすく侵攻を許す結果となるから。反アッシリア運動を支持するのは自国防衛が大きな根拠なのです。また、この反アッシリア運動には、後にヒゼキヤ王統治下の南王国ユダが参加したことも、ここで申し添えておきます。
 エジプトは主を信仰する国ではない、だからかれらを頼りとするな、とは明日読む第19章,或いは明後日にノートする予定の第30章などで語られるイザヤの忠告ですが、それを考えるとイザ18冒頭でクシュ人へ帰還を促すイザヤの言葉は強制送還に等しい、といえないでしょうか。
 聖書には<ぶどう>の比喩が頻出します。本章も例外ではありません。ここで<ぶどう>はユダを指す。本章ではこんな風に表現されます。曰く、━━「刈り入れ時の前に、花が終わり/花の房が実となり、熟し始めると/主は枝を刃物で切り落とし/つるを折り、取り去られる。/それはすべて、山の猛禽と野の獣に与えられる。/猛禽は、それを餌として夏を過ごし/野獣もすべて、それを餌として冬を過ごす。」(イザ18:5-6)━━希望的観測も含んだ預言ですが、ユダが成熟して実を結ぼうとする、まさにそのとき、アッシリアは滅びる、というのです。いちど読んだだけではわかりにくい部分もありますが、世界に屹立するユダの繁栄を願うものとして、これはなかなかすばらしい表現、技法である、と、わたくしなどは思うてしまうのであります。

 本ブログが始まって第0999日目を迎えました。いつもお読みいただいている読者諸兄よ、あなた方なくして本ブログはこの節目の日を迎えることはできなかった。ありがとうございます。
 とはいえ、この日を迎え得たことを「感慨深い」の一言で片附けてよいものか、迷います。正直なところ、<感慨>という程のものがないのです。未だ道は全体の2/3を残し、「イザヤ書」については1/4を消化したに過ぎません。気を引き締めて、ときどき襲いかかる怠惰と無気力を退け、まずは来年今頃に予定されている旧約聖書の読了を目指します(「創世記」と「出エジプト記」前半部分は除く)。
 その日まで、世界が健やかでありますように。わたくしも、みな様も。
 ━━では、ちゃお!◆

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