第1001日目 〈イザヤ書第20章:〈アシュドドの占領〉with歴史の本を読もう(つぶやき・なう)〉 [イザヤ書]

 イザヤ書第20章です。

 イザ20:1-6〈アシュドドの占領〉
 前711年、時のアッシリア王サルゴンがアシュドドを襲ったのであるが、その年、主の命令がイザヤに臨んでいた。
 主はいった、腰から粗布を取り去り、足からは履物を脱いで歩け、と。イザヤはその通りにした。裸身に裸足で3年間、イザヤは過ごした。主はいった、イザヤが過ごした身なりと同じ格好で、アッシリアはエジプトとクシュから捕囚を引いてゆく、捕囚となった者らは自分たちが望みをかけて誇りとしたクシュとエジプトのゆえに恥辱を受ける、と。
 その日、ペリシテの人々はいうだろう、「アッシリアの王から救われようと助けを求めて逃げ、望みをかけていたものがこの有様なら、我々はどうして逃げ延びえようか」(イザ20:6)と。

 アシュドドは地中海沿岸のペリシテの町。エルサレムのほぼ真西、ガザの北北東に位置する。ヨシュ13:3で、5人のペリシテ人の治める町の一つとして、ガザ他と並んで名が挙げられていました。後にユダ族の嗣業の土地となります(ex;ヨシュ15:46)。
 アシュドドは<神の箱>のエピソードに登場していた。━━イスラエルは預言者サムエルを戴いていた時代、対ペリシテ戦を争って敗北を喫したことがありました。そのときイスラエルの長老たちが提案しました、状況打破のためシロから<主の契約の箱(神の箱)>を運んでこよう、と。それは直ちに実行されました。それが却ってまずかった。ペリシテ軍はなおも強力で、イスラエルの陣地に雪崩れこんでこれを奪っていったのでした(サム上4)。が、ペリシテの手に落ちた<神の箱>はペリシテに災いをもたらす。アシュドドは<神の箱>が最初に置かれた町でしたが、そこの住民の体を腫れさせ、災害を起こさせた。これではいけない、と他の町(ガト、エクロン)へ移すも結果は同じ。そこで談義した結果、<神の箱>はイスラエルへ返された、というのであります(サム上5)。
 ━━どうやらイザヤはクシュとの共闘によるアッシリア排斥を望んでいたようですが、サルゴンによるアシュドド攻略を目の当たりにして、そのプランを放棄したようです。3年間裸身裸足で過ごせ、それが捕囚となるクシュとエジプトの未来である、と主はいう。おそらく民はこれを見てさんざん嘲笑したでありましょうが、その結果どうなったか、といえば、アッシリアによるアシュドド占領をきっかけに、パレスチナ地方がアッシリアの支配下に置かれる未来が現実味を帯びてきた。むろん、バビロンの台頭はまだ先の話です。
 短い章ゆえに精読を要求される、というよき見本でもある本章は、さんさんかの能力の限界を露呈した章でもあるような気がしてなりません。どうか、そう思われませんように。
 嘆くペリシテの民は、クシュやエジプトを頼りとした。これだけ強大な国家が斯くもあっさりと屈するならば、われらの国が東方からの影の前に膝を折るのもわけないことだ。それがペリシテ人の抱いた、率直な感想だったでしょう。諦念というも憚られる台詞です。



 みなさん、歴史の本を読んでください。過去を知ろう。◆

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