第1002日目 〈イザヤ書第21章:〈バビロンの陥落〉&〈エドムについての預言〉with高校野球・地方大会開幕に寄せて。〉 [イザヤ書]

 イザヤ書第21章です。

 イザ21:1-10〈バビロンの陥落〉
 ……主が視(み)せる幻に私は呆然とした。その間、見ることも聞くこともできず、体は砕けるが如く、心は千々に乱れて打ちのめされた。まわりの世界から色が消えたようだった。主が私に視せた幻、それはバビロニア帝国の滅亡、帝都バビロンの陥落であった……。
 バビロニアの東方からつむじ風のようにやって来るものがある、エラムとメディア、かれらがかの帝国を討ち、滅びの日を到来させる。なんとなれば、呻きを終わらせて主がその計画を実現させるため。
 わが主がいう、見張りを立ててエラムとメディアの軍勢が襲来する様を報告させよ、と。油断するな、目をそばだてていよ、とも。━━或る日、見張りは叫び、報告するだろう、「倒れた、倒れた、バビロンが。/神々の像はすべて砕かれ、地に落ちた」(イザ21:9)と。
 「打たれ、踏みにじられたわたしの民よ/わたしは、あなたたちに告げた/イスラエルの神、万軍の主から/わたしが聞いたことを。」(イザ21:10)

 イザ21:11-17〈エドムについての預言〉
 主は、ドマ、即ちエドムについても預言した。セイルの山岳地帯から見張りに呼ばわる声がする、夜はまだ明けないか、と。見張りは答える、まだ夜だ、しかし夜明けの刻は近い、と。夜明けがあとどれぐらいかはわからない、知りたくばまた尋ね来よ、とも。
 ━━続けて主は、荒れ地、即ちエドムに接するアラビアの民にも託宣した。エドムを襲った戦災から逃れてきた人々を援助せよ、と。渇いた者には水を、腹を空かせた者にはパンを。
 が、荒れ地で生活するアラビアの遊牧民ケダルの栄光は、一年も経てばすべて尽きる。ケダルの勇士の弓も少なくなってゆく。
 ……イスラエルの神、わが主は、私イザヤに斯く語りき。

 戦慄させられる章、といえないでしょうか。少なくともわたくしは読むたびごとに、そら恐ろしい感情を覚え、怖気だつのを感じます。或る意味に於いて本章は第一イザヤの白眉というてよいのではないか、とさえ思うのであります。前半で引用した「打たれ、踏みにじられたわたしの民よ」云々はバビロン捕囚を念頭に置いた言葉でありましょうか。
 エドムは旧約聖書の始めの方から現れてきた国ですが、そのエドムについても主は託宣する。でも、これを読んで頗る安堵したのであります。よかった、旧約聖書の神にまだ慈悲(優しさ)はあった、と。預言書という性質上、主は厳しい言葉、毅然たる行動でわれらの前に現れますが、それだからこそ、ここで示したような保護の命令に場違いな安心を覚えてしまうのです。震災を経験したいま、その思いはなお強く胸のなかにあります。
 補註を加えれば、「ケダル」はアラビア地方の交易路を実質支配していた遊牧民で、やがてペルシア帝国の前に倒れる運命にある。「エラム」と「メディア」はペルシア湾とカスピ海の間、つまり今日のイラン回教共和国にあった国家で、バビロニアを打ち倒して後は紆余曲折を経て最終的にペルシア帝国へ吸収されます。



 高校野球神奈川大会が今日から開幕しました。わが家の上空をヘリコプターが何度も飛んでいったり戻ってきたり、を繰り返していたのは、そのためなのかな。でもこの夏は東北の代表校が甲子園で暴れまくって優勝旗を持ち帰るようになってほしいですな。◆

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