第1005日目 〈イザヤ書第24章:〈神の世界審判〉with〈ワールドクラシック@シネマ2011〉⑤;ボリショイ・バレエ〈クラスコンサート〉&《ジゼル》を観たのですが……、〉 [イザヤ書]

 イザヤ書第24章です。

 イザ24:1-23〈神の世界審判〉
 私イザヤに主が見せた幻をみなへ告げる。見よ、われらが住む大地を主は裸にする。大地は乾き、荒れて衰え、地震によって歪(ゆが)む。ユダの民は職業や身分の貴賤にかかわりなく世界中へ離散する。このように大地が汚されるのには、勿論理由がある。私はいう、「地はそこに住む者のゆえに汚された。/彼らが律法を犯し、掟を破り/永遠の契約を棄てたからだ」(イザ24:5)と。「それゆえ、呪いが地を食い尽くし/そこに住む者は罪を負わねばならなかった」(イザ24:6)と。
 ユダの地から実りは消える。ユダの民から喜びは消える。ユダの町は蛮民に破壊され、辛うじて難を免れた者は命からがら逃げてゆく。が、かれらが悲しみに暮れる暇はない。ユダを襲う諸国の軍勢が四散したユダの民を追うからだ、掃討せんとして。遠近(をちこち)へ散ったユダは、それでも主を求めて祈り、主を讃美して歌い、東の国でも西の群島でも主の御名を尊ぶ。耳をすませば地の果てから聞こえてこよう、<主に従う人に誉れあれ>と歌う声が。
 「しかし、わたしは思った。/『わたしは衰える、わたしは衰える/わたしは災いだ。欺く者が欺き/欺く者の欺きが欺く。』」(イザ24:16)
 離散するユダを追う諸国よ、告げる、お前たちには恐怖と穴と罠が臨む。恐怖をまぬがれても穴に落ち、穴を脱出しても罠に捕らえられる。やがて天の水門が押し開けられ、地の基は激しく震え動く。世界は造り直される。主の罰が臨み、諸国の王はかれらのあがめる神をその軍勢もろとも粛正される。
 万軍の主なる神がシオンの丘、聖都エルサレムの王となり、その栄光を長老たちに示し現すとき、太陽と月は己を恥じて主の栄光のなかへ姿を隠す。

 世界(ユダ)が崩壊し、離散したユダは異郷に在っても主の御名を唱える。
 やがて示されるであろう栄光が、彼らの上に臨んで、祝福される。
 ━━何度も読み返し、繰り返し読むことをわれらへ迫る本章は、いわゆるユダヤの離散(ディアスポラ)を扱った章です。やがて実現する、あらかじめ構想された歴史。が、実はとても喜びにあふれた希望と救いが底辺に流れる章でもあります。
 雑念を払い腰を据えて臨む必要があるかもしれない。それだけに終いの一行まで十全に理解し把握し得たときの達成感は非常に大きい。いうなれば、「詩編」各篇に匹敵する充実と質を備えた章である、と申せましょう。すばらしき一章。



 昨日は初めての休日、横浜ブルク13へ〈ワールドクラシック@シネマ2011〉を観てきました。上映作品は、ボリショイ・バレエの〈「クラスコンサート」/《ジゼル》〉でした。CDで聴いてその物語と音楽に惹かれるものがあったので楽しみにしていたのですが、なんだかちょっと肩すかしを喰らわされた。これは《ジゼル》の話です。なんというかな、カメラワークが単調で劇場の後ろの方の席からオペラグラスなしで公演を<眺めている>気分。でも逆に、期待していなかった分だけ、「クラスコンサート」に接し得た感動は大きかった。上映後にいつものスタバで認めた感想は(推敲した後)、「イザヤ書」が終わった暁にご覧いただけるものと思います。◆

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