第1007日目 〈イザヤ書第26章:〈勝利の歌〉、〈復活を求める祈り〉&〈主の審判〉withド氏の夏休み。〉 [イザヤ書]

 イザヤ書第26章です。

 イザ26:1-6〈勝利の歌〉
 その日、われらはユダの地で、この勝利の歌をうたおう。堅固な都の砦を開け、神に従い信仰を守る民がやって来て、入れるように。「堅固な思いを、あなたは平和に守られる/あなたに信頼するゆえに、平和に。/どこまでも主に信頼せよ、主こそはとこしえの岩。」(イザ26:3-4)

 イザ26:7-19〈復活を求める祈り〉
 あなたの裁きによって定められた、神に従う者のためのまっすぐな道を、われらは歩いてゆきます。そうして、あなたを待ち望みます。あなたの御名を唱えることは、われらの喜びです。あなたの裁きが全地に行われるとき、あなたへ従わない人らはあなたのゆえに恥を受けるでしょう。
 「わたしの魂は夜あなたを捜し/わたしの中で霊はあなたを捜し求めます。」(イザ26:9)
 主よ、われらに平和を。われらを支配する者を除き、あなたの御名を唱えるわれらに、平和を授けてください。
 「あなたの死者が命を得/わたしのしかばねが立ち上がりますように。/塵の中に住まう者(死者)よ、目を覚ませ、喜び歌え。/あなたの送られる露は光の露。/あなたは死霊の地にそれを降らせます。」(イザ26:19)

 イザ26:20-27:1〈主の審判〉
 ヤコブよ、ユダよ、部屋に隠れていよ。主がその御座から立ちあがる。全地の者らの罪を問う。大地は流れた血も倒れた者も露わにしたままで隠そうともしない。主は剣を以て逃げるレビヤタンを罰し、海の竜を殺める。

 滅びのあとに希望が訪れる。神を信じ、敬い、畏れ、跡を慕うことがなによりの喜び。━━そんな、一種の法悦に等しい感情が隅々まで染み渡った章です。それは特にイザ26:7-19〈復活を求める祈り〉で顕著です。ここでは異教に染まった民が回心し、信仰を回復し、それによる主の祝福を受けられる、という構図になっています(ex;イザ26:14-15)。
 後に読むことになる第32-36章同様、わたくしはこの前後の章群を第一イザヤ書の真の中核と考え、かつ、第二イザヤ書への橋渡し役も担っている、という風に考えるのであります。



 以前、今年の夏は浮気することなくドストエフスキーを読み続けられるかな、と書きました。覚えていらっしゃいますか? こんなことをいいだしたのには理由があります。
 縁あって現在の会社に入れてからはたったの30ページ弱しか進んでおらず、昨日久しぶりに読もうとしたらすっかりわからなくなっていた。それまでは数日空いてもすぐに物語の世界へ入ってゆける程早々に思い出すこともできたのに、今回はそれさえ無理であった。
 仕方ないのでド氏にはしばし夏休みを取っていただくことにして、わが神スティーヴン・キングの短編集を明日からは携えて出勤することにしました。いやぁ、やっぱりアヴァンチュールを楽しむ夏になってしまいましたねぇ……太宰? 知らん、だ、誰だ、それは!?◆

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