第1008日目 〈イザヤ書第27章:〈主のぶどう畑〉、〈都の破滅〉&〈イスラエルの回復〉withSMAPメドレー再放送希望!〉 [イザヤ書]

 イザヤ書第27章です。

 イザ27:2-9〈主のぶどう畑〉
 その日、主が手ずから丹精して見張り番もした、りっぱなぶどう畑の歌をうたおう。主はいう、わたしはもはや憤っていない。が、わたしに戦いを挑む者があれば、迎え撃とう。そうではなく、主を砦と思い、主と和解したくばそうするがよい。「時が来れば、ヤコブは根を下ろし/イスラエルは芽を出し、花を咲かせ/地上をその実りで満たす。」(イザ27:6)
 疑問に思う、果たして主は、イスラエルを撃った者を撃ったように、イスラエルを殺した者を殺したように、イスラエルをも撃ち、殺したであろうか。否、主がしたのはイスラエルを激しい風で以て吹き払ったことである。斯様にしてヤコブの罪は贖われて除かれる。異教は排除され、異神を崇めるための祭具や偶像はどこにも立てられない。

 イザ27:10-11〈都の破滅〉
 されど王都エルサレムは孤立し、包囲され、攻められて廃墟となり、見棄てられて荒れ野となる。その界隈に住まうようになった家畜はかつての都の跡で草を食み、その界隈に住まうようになった人々はかつての都の跡で小枝を集める。主はそんな連衆を顧みない。そんな連衆の神もかれらに恵みを与えることがない。

 イザ27:12-13〈イスラエルの回復〉
 その日が来たら、主はユーフラテスの流れからエジプトの河(ナイル川)に至る地域、即ちアッシリア/バビロニアからエジプトに至る地域までを、穂を打つように打つ。が、イスラエルは再び角笛に導かれてこの地に集い、聖なる山シオン、エルサレムで主にひれ伏すようになる。アッシリアに捕囚として連行された者も、エジプトへ追いやられたり避難して逃れた者も者も、聖なる山シオン、エルサレムで主にひれ伏すようになる。

 聖書を読むには困難が伴う。それもそうだ、日常的に接する書物ではないし、この国の国教ではないのだから。加えて、幼少の時分から親しんできた者は、この国にはわずかなパーセンテージしかいない。そうした意味ではわが亡き婚約者も含めてキリスト者は宗教的マイノリティと申せよう。むろん、在日外国人をここに数えることはしない。
 聖書やキリスト教が自分の拠って立つ、然るべきアイデンティティでない点では、わたくし即ちさんさんかも勿論例外ではない。ここでもたびたび嘆いているように、嗚呼妻となるはずであった女性が生きてくれていれば……、と思うことは頻りにあるのだが、なにがいいたいのかというと、「イザ27:2-9〈主のぶどう畑〉」は独りで読んでも理解することはやや困難であったことを告白したかったのである。では、どうやってそこに書かれたことを理解するか。それは勿論、何度でも腰を据えて読む、それ以外に道があろうか?



 FNSで放送された「音楽の日」。SMAPのメドレーから偶然観られました。惜しむらくは録画できなかったこと。願うは、この部分だけでも後日再放送されてほしいこと。無理かなぁ……。ええ、そうなんです、昔からSMAPが好きなんです、『BANG! BANG! BANG!』の頃からかな。Fine,Peace!◆

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