第1009日目 〈イザヤ書第28章1/2:〈サマリアの陥落〉&〈酒に酔った祭司と預言者〉with村上春樹氏かく呟きけり〉 [イザヤ書]

 イザヤ書第28章1/2です。

 イザ28:1-6〈サマリアの陥落〉
 肥沃な谷にある丘を飾る麗しい輝きは、いつしか衰えてゆき、しぼんだ花のようになる。それが北の都サマリアの運命。主は雹、大風、洪水のごとくサマリアを嬲り、御足で踏みにじる。斯様にして、エフライムの酔いどれが誇る冠はこの地上から消えてなくなる。
 「その日には、万軍の主が民の残りの者にとって/麗しい冠、輝く花輪となられる。/裁きの座に着く者には、裁きの霊となり/敵の攻撃を城門で押し返す者には/雄々しい力となられる。」(イザ28:5-6)

 イザ28:7-13〈酒に酔った祭司と預言者〉
 ユダの民はこんな風に揶揄する━━祭司も預言者も濃い酒をしこたま飲んで酔っ払っている。主からの<幻>を見るときは朦朧としていて、裁判で判決を下すときは蒙昧である。
 ユダの民はこんな風にイザヤについて陰口する━━いったいあの預言者は誰に主からの<お告げ>を説き、伝えようとしているのだろうな、と。乳飲み子か? ようやくハイハイするようになった幼な子にか? あの預言者の言葉は、おれたちにはこんな風にしか聞こえない。つまり、「ツァウ・ラ・ツァウ、ツァウ・ラ・ツァウ(命令に命令、命令に命令)」としか。「カウ・ラ・カウ、カウ・ラ・カウ(規則に規則、規則に規則)」としか。「しばらくはここ、しばらくはあそこ」としか。
 ━━確かに、と私イザヤは思う。確かに、主はどもる唇を以て異国の言葉を用い、この民即ちユダに語りかける。が、実際はこうだ、主はこう語っておられる。曰く、━━
 「これこそが安息である。/疲れた者に安息を与えよ。/これこそ憩いの場だ。」(イザ28:12)
 これが、かれらには、「ツァウ・ラ・ツァウ、ツァウ・ラ・ツァウ。カウ・ラ・カウ、カウ・ラ・カウ。しばらくはここ、しばらくはあそこ」としか聞こえないのだ。私イザヤはユダにこう告げよう。「彼らは歩むとき、つまずいて倒れ/打ち砕かれ、罠にかかって、捕らえられる」(イザ28:13)と。

 〈サマリアの陥落〉に於いて、「その日」とは、サマリアが陥落する日であり、民の残りの者、とは、アッシリアの攻撃を逃れ捕囚をまぬがれ、主の信仰へ立ち帰る者を指すのでしょう(ex;イザ17・感想/第0998日目)。
 ここで見るべきはやはり、イザ28:7-13〈酒に酔った祭司と預言者〉であります。身内(同胞ユダ)へのイザヤの慨嘆がこれまでなかった強く、深い調子で描かれています。ここはそのイザヤの慨嘆と情愛が聞こえてくるとして、記憶に留まる内容であります。



 村上春樹氏が最新のエッセイ集で呟いているが、氏はスタバに行くとドリップコーヒー、つまり<本日のコーヒー>以外を頼んだことがないそうな。それ以外のドリンクになかなか手が出せないという意味ではわたくしも同類。きっとこんな人、他にも沢山いるはずだ。◆

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