第1012日目 〈イザヤ書第30章:〈エジプトとの同盟〉、〈背信の記録〉&〈救いのとき〉他with吹奏楽へハマる日々が再び訪れるか?〉 [イザヤ書]

 イザヤ書第30章です。

 イザ30:1-7〈エジプトとの同盟〉
 背く子ら即ちユダは災いである、と、主はいった。かれらの計画、盟約はわたしの意によるものではない。罪に罪を重ねるかれらは、わたしの託宣へ耳を貸すこともなく、ひたすらエジプトへ下り、ファラオの砦に身を隠す。が、それはユダよ、お前たちにとって恥辱でしかない。その国が助けとなることはない。
 ネゲブの山道を、ろばやらくだの背に荷を載せて、お前たちは行く。獅子が吼え、蛇や蝮が潜む、悩みと苦しみの道を、お前たちは行く。エジプトへ逃れ、定住したからとて助かるわけではないのに。助けとならぬエジプト。わたしはこれを“つながれたラハブ”と呼ぼう。

 イザ30:8-17〈背信の記録〉
 ユダの、この背信をかれらの前で、石に刻んで記録せよ。かれらは先見者に<幻>を見るな、といい、預言者には真実を預言するな、惑わすことを預言せよ、という。イスラエルの聖なる方について、われらに語るな、と。
 だから、わたしはいう。お前たちが抑圧と不正を支えとして重ねる罪。その崩壊は突然やって来る。
 静かにしていれば救われる。やすらかに信頼していることにこそ力がある。わたしの信仰に立ち帰れ。主はそういった。が、ユダよ、お前たちはそうしなかった。
 「今、行って、このことを彼らの前で/板に書き、書に記せ。/それを後の日のため、永遠の証しとせよ。/まことに、彼らは反逆の民であり/偽りの子ら、主の言葉を聞こうとしない子らだ。」(イザ30:8-9)

 イザ30:18-26〈救いのとき〉
 わずかに残った心正しきユダの民、エルサレムの住民のため、主は恵みを与えようとして立ちあがり、憐れみを与えようとして待ち構える。
 もう泣き、哀しむことはない。主はあなたの声に耳を傾け、それに応えてくれる。あなたが地に蒔く種に雨をもたらし、実り豊かなものとしてくれる。高い山や丘の上に水路が開かれれば、絶えず水を流してくれる。あなたの家畜にはじゅうぶんな量の牧草、地を耕す馬やろばには栄養たっぷりな餌が与えられる。もはや泣くことはない、主は正義の神だから。
 「あなたを導かれる方/もはや隠れておられることなく/あなたの目は常に/導かれる方を見る。」(イザ30:20)
 「主が民の傷を包み/重い打ち傷をいやされる日/月の光は太陽の光になり/太陽の光は七倍になり/七つの光となる。」(イザ30:26)

 イザ30:27-33〈アッシリアに対する審判〉
 「見よ、主の御名は遠くから来る/怒りに燃え、立ち昇る濃い煙を伴って。」(イザ30:27)
 主の霊はアッシリアのみならず諸国にまで臨み、主の嗣業の民を歓喜させてかれらの神に見(まみ)えさせる。主の威厳ある声が御腕の業といっしょにこの地へ導き、主の嗣業の民を攻める国々と戦う。
 「焼き場は既に用意され/王のために深く広く造られ/燃やすための木が積まれ/多くの薪が置かれ/主の息が焼き尽くす硫黄の流れのように/そこに臨む。」(イザ30:33)

 ユダの背信、それは許され難き罪。が、その背信の未来の先にメシアの到来があり、黙示録後の千年王国の建設が約束される。主によってあらかじめ構想された歴史の実現とは、そういうことであります。特に第1-26節を読めば明らかとなることでもあります。希望に満たされた本章が、わたくしはけっこう好きです。
 ネゲブはこれまで何度か出て来た地域ですが、ここではいわゆる<ネゲブ地方>というよりも、ユダからエジプトへ至る、王都エルサレムを擁すユダの山地から見て南方のエリアを指す、と考えた方が無難であるように思います。
 なお、エジプトを形容したラハブとは「ヨブ記」にも出てきた海の怪獣、即ちレビヤタン(ヨブ9:13,26:12)。『新エッセンシャル聖書辞典』の説明に拠れば、セム人の神話に登場する宇宙に於ける神の秩序の破壊者ティアマトと関係しているのだろう、とあります。



 先日の休みに出掛けたCDショップでストラヴィンスキーといっしょに買ったのが、いま聴いている『ブルーインパルス』というCD(COCO-73020)です。演奏団体は航空自衛隊中央音楽隊。
 わたくしは熱心な吹奏楽ファンではありませんが、幾つかの邂逅をきっかけにこの分野を聴くようになりました。いまさらながら吹奏楽の水先案内人を失った痛手を予想以上に大きく感じていますが、その人が口にしてこの分野へのめり込む契機をなったジールマンの《チェルシー組曲》など1年前までは音源として手に入れることも難しかったのに、現在ではなんと2種の現役盤がある。しかも復刻ではなくいずれも新録音なのがたまげてしまう。世界は変転したのだ、悪い方にも、良い方にも。
 で、航空自衛隊の演奏はわたくしのような吹奏楽素人が聴いてもブッたまげてしまう精度の高さと勢いのよさに啞然としてしまいます。何年か前に浜松の航空ショーで雨のなか聴いたバンドの演奏も良かったけれど(あれはどこの、なんという団体だったのかな)、航空自衛隊中央音楽隊の演奏はやはり別格なのかもしれません。
 再び吹奏楽ばかり聴く日がその内に到来しそうだな……、とぼやく。再びハマるに『ブルーインパルス』がこれ以上ない盤であることは疑いないでしょう。言わずもがなのことだけれど、熱くてカッコイイよね、吹奏楽のオリジナル作品って!◆

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