第1013日目 〈イザヤ書第31章:〈エジプトに頼るな〉withいまの会社へ来て10日、凹むこともあるけれど……、〉 [イザヤ書]

 イザヤ書第31章です。

 イザ31:1-9〈エジプトに頼るな〉
 エジプトに頼るユダを、主は災いと呼ぶ。軍備ばかりでイスラエルの聖なる方を仰ぐことも尋ね求めようとする心を特に持たない。だからといって、主はユダに災いをもたらし、御言葉を無に帰すようなことはしない。代わりに、主はエジプトを叩く。エジプトは悪を行う者に味方する国だからであり、斯様に主が御手を伸ばしてエジプトを叩けば、助けられているユダも倒れていっしょに滅びるからだ。
 獲物を捕らえた獅子は集まってきた羊飼いの歓声によって、自惚れたり自らを過信することはない。主も同じだ。大きく翼を広げた鳥のごとく、万軍の主はエルサレムの上にあって戦う。ダビデの町と、そこへ住む自分にのみ依り頼み民を守り、かばい、戦う。
 「イスラエルの人々は、あなたたちが背き続けてきた方に立ち帰れ。」(イザ31:6)
 ……アッシリアは人間のものではない剣によって足並みを乱し、彼方此方へ逃げ、若き者らは労役に服す。「主はシオンに火を/エルサレムに炉を持っておられる。」(イザ31:9)

 主の声が聞こえなくなったユダ、その代わりにかれらが聞くのはエジプトの声。ユダはエジプトに、かつて自分たちの父祖を労役に服させて虐げたエジプトの国に、自分たちの保護を求めてかれらを頼む。と、普通ならここでユダが責められることであったでしょう。が、主は敢えてエジプトを討つ。そうして、双方を共倒れさせようと計る。
 ユダを助けるエジプトを討つ、というのは既に託宣として出てきていましたが、本章は主の、エジプトに対する最終的な通達であります。そう、最後通牒が突きつけられたわけであります。
 で、その言い廻しがすごい。「しかし、主は知恵に富む方。/災いをもたらし/御言葉を無に帰されることはない。/立って、災いをもたらす者の家/悪を行う者に味方する者を攻められる」(イザ31:2)ゆえに、「助けを与える者はつまずき/助けを受けている者は倒れ、皆共に滅びる」(イザ31:3)のである、というのです。思わず寒気を覚える聖句ではありませんか。わずかばかりの情も見当たらない。それだけ主の、ユダへの感情は回復できぬところまで失墜している。一度定めた滅びの計画を成就させるためにユダのみならず、ユダを援助する国━━ここではたとえばエジプトですが━━をも共倒れさせようとする主の計画。それが本気であることを教えてくれるのが、この第31章に他なりません。



 新しい会社へ来て早いもので10日が経ってしまった。いよいよ明日でトレーニング期間も終了。
 いろいろ覚えなくてはならないこともあってちょっと大変。教えていただいたことを瞬間的に忘れたり、棚を間違えてそこにない商品を探していたり、梱包がうまくいかなくて悄気(しよげ)たりすることも、また他の面で凹むこともあるけれど、ここが踏ん張りどころと思うていまはバカになってひたすらインプットに徹し、迷ったらマニュアルに戻ったり他の先輩諸氏に教えを請うて、一通りの、当たり前の作業ができるようになろう。
 でも……人には恵まれたのではないか、と思う。少なくとも、同期(1人しかいないけれど!)とトレーナーの先輩社員、そしてチームの人々には。同期以外とは誰と、なにを、どこまで話していいのか、皆目見当が付かず、一種の疎外感(孤独感、だな、むしろ)さえ覚えながら休憩室ではぽつねんとしていることが多いのだが、これもおそらく時間が解決してくれるだろう。
 なによりも大事なのは、周囲との<和>を固持すること、積極的になること、ごまかさないこと、もう一度訊くことを恐れずにわからなくなったらすぐに相談すること。まぁ、あいさつを欠かさないこと、きちんと話すことは、人間として当然だよね!?
 さて、明日も早い。今日の原稿を予約投稿したら、すぐに寝ます。おやすみなさい。
 せめて夢のなかでだけでも、おぐゆーさんに逢って仲良くしたいなぁ……。◆

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