第1015日目 〈イザヤ書第33章:〈救いを求める祈り〉、〈正しい者を守られる神〉&〈主は我らの王〉with映画『コクリコ坂から』を観てきました、という報告。〉 [イザヤ書]

 イザヤ書第33章です。

 イザ33:1-6〈救いを求める祈り〉
 略奪されもしないのに略奪する者は略奪し終えたときに略奪され、欺かれもしないのに欺く者は欺き終えたときに欺かれる。
 主よわれらを憐れんでください、主よわれらを救ってください、われらが苦難のなかにあるときは。われらはあなたを待ち望みます。
 「主ははるかに高い天に住まわれ/シオンに正義と恵みの業を満たされる。/主はあなたの時を堅く支えられる。」(イザ33:5-6)

 イザ33:7-16〈正しい者を守られる神〉
 かつて主の栄光が臨んだ地には嘆きが満ちる。かつて主の栄光が臨んだ地は辱められ、衰える。
 が、主はいまや自らの身を起こし、自らを高くする。そうして諸国民は、火の如き霊によってなめ尽くされ、焼かれ燃やされてゆく。
 主はいう、遠くの地に住まう者はわたしが成し遂げたことを知り、近くの地に住まう者はわたしの力強い業を見るがいい。シオンにて悪の道を歩んだ者はみな捕らえられた。わたしが守るのは、━━
 「正義に歩み、正しいことを語り/虐げによる利益を退け/手を振って、賄賂を拒み/耳をふさいで、流血の謀を聞かず/目を閉じて、悪を見ようとしない者」(イザ33:15)である。「このような人は、高い所に住む。/その高い塔は堅固な砦。/彼の糧は備えられ、水は絶えることがない。」(イザ33:16)

 イザ33:17-24〈主は我らの王〉
 もうあなたはわれらを攻めた民を見ない。声に耳を傾けることもない。
 あなたの目はわれらの祝福の都シオンを見る。そこはあなたのやすらかな住居であり、移されることなき天幕、その杭は永遠に抜かれず、一本の綱も断たれない。乾燥したパレスチナには幾つもの川が流れ、しかもその川が敵に使われることもない。
 「まことに、主はわれらを正しく裁かれる方。/主はわれらに法を与えられる方。/主は我らの王となって、我らを救われる。」(イザ33:22)
 「都に住む者はだれも病を訴えることはない。/都に住む者は罪を赦される。」(イザ33:24)

 これはアッシリアの恐怖が迫った時代の預言、といわれます。でも、ここにある希望はすごく心清らかにされる希望であります。



 映画『コクリコ坂から』を観てきました。胸がいっぱいになりました。涙もほろりと出ました。生きていてよかったな、と思いました。
 却って感想を認めようとしても、記憶も感情もこんがらかった毛糸玉のようになっており、なにを書いていいのかわからない。かつて他の映画でそうしたように、少し時間を置いて書いてみて、それがお披露目できるようなものであったら本ブログでお目に掛けたく存じます。
 同じような時代を舞台にした『ALLWAYS~三丁目の夕日』よりもはるかに親近感と懐かしさを感じたのは、ひとえに『コクリコ坂から』がまったく作為的でない点にあったのかもしれない。それだけ、いまは書いておきます。
 最後にこんな映画と出逢えたら、この世に言い残すことなんてありませんよ。◆

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