第1033日目 〈イザヤ書第49章2/2:〈シオンの回復〉withS.キング「ドランのキャデラック」を読みました&予定していた読書を実行できなかった休日にわたくしはいったいなにをしていたのか、を探る。〉 [イザヤ書]

 イザヤ書第49章です。

 イザ49:9(2/2)-26〈シオンの回復〉
 主の嗣業の民は捕らわれていた者も幽閉されていた者も、主の導きによって湧き出る水のほとりへ連れてゆかれる。すべての山に道が開かれ、遠くから主なる神の民、主により贖われた嗣業の民がシニムの地へと集い来たる。天よ、地よ、山々よ、喜び歌い、躍り、歓声をあげよ。「主は御自分の民を慰め/その貧しい人々を憐れんでくださった。」(イザ49:13)
 シオンはいった、わたしは主に見捨てられ、忘れられた。が、見よ、われらはいま主に立ち帰り、その御名を掌へ刻む。主の民は主の許へ集められる。遠くの地から、北から、南から。しかし廃墟となったあなた(主)の町はみなを住まわせるには狭い町。よってわたしは主に願い、頼む。どうか住む所を与えてください、と。
 主なる神はいう、わたしは諸国へ対して手を上げ、旗を掲げる。そうすると国々の王はあなたの養い手となり、王妃はあなたの乳母となり、あなたにひれ伏し、あなたの足許の塵を舐めるようになる。そのとき、あなたは知るだろう。主であるわたしへ望みを置く者は恥を受けることがない、と。
 主なる神はいう、あなたを連れ去った国からわたしはあなたを救い出す、と。かの国の勇士から、かの国の暴君から、捕らわれ人を救う、と。わたしはあなたと争う者と争い、あなたの子らを救う。「あなたを虐げる者に自らの肉を食わせ/新しい酒に酔うように自らの血に酔わせる。/すべて肉なる者は知るようになる/わたしは主、あなたを救い、あなたを贖う/ヤコブの力ある者であることを。」(イザ49:26)

 勿論これは捕囚解放を謳っていますが、エルサレムとユダの回復をも預言しています。民の救済と誉れが語られ、主の民であることの栄光が語られた章である。
 バビロン各地に散らされたユダの捕囚の民は、どんな思いで何十年も、何世代も、なにを思って異郷の空の下で捕らわれ人の立場に甘んじていたのだろう。むろん、かの地で商魂を発揮して財を成した者もあるとは聞きますが、それは別格として圧倒多数の捕囚民はなにを思って解放の宣言が出される日までを過ごしたのだろう、という点にわたくしは関心がある。
 そうして、かれらがどんな思いで第二イザヤの預言を受け止めていたか、にも。かれの言葉を、すぐに信じたであろうか。わたくしにはわかりません。希望としては持っていたかもしれない。でもそれが実現するかは疑わしい。バビロニアの栄華が翳り、国家が崩壊するとはまさしく想定外、予想外の出来事だから(既に自分たちが経験してるにもかかわらず)。夢物語にも等しい。が、そうであればいいな、と思う心はあったでしょう。
 この預言がどんな時代状況下で告げられたか、既にペルシアの襲来がたびたびあって危機としてあれば、捕囚の民がペルシア軍に一抹の希望を託していた、と想像するのは、けっして非現実的なそれではないと思います。
 シニムはどうやら聖書中で本章のみの言及であるようですが、日々繙いている『新エッセンシャル聖書辞典』に拠れば、エゼキエル書に出てくるシンやセベネという町のことではないか、と云々。70人訳聖書ではシニムをペルシアと訳している由。



 昨日今日の休みで村上春樹『1973年のピンボール』(講談社文庫)を読む予定であったのだが、あらかじめ予定していた読書というのはどうも現実に紛れて実現できた試しが殆どない。ぼくが初めて読んだのはご多分に洩れず『ノルウェイの森』でしたが(そういう時代だったんだ!)、この『1973年のピンボール』は3番目に読んだ村上作品。
 20年以上も読み返すことがなかった小説なだけに、今回の休日を楽しみにしていたのですが、……この2日間、いったいおいらはなにをやっていたんだろう。ウッドハウスが必要な心理状態になり、キングには手を伸ばせず、読んだ本は聖書を別とすれば吉田秋生の新刊ぐらいか。病院へ行って銀行へ行って区役所へ行って、スーパーで買い物して本屋へ行って……なんだ、至ってまっとうな休日ではないか。
 一昨日読んだスティーヴン・キング「ドランのキャデラック」の感想ですか。シノプシスは既に承知しているので、今回はそこからこぼれ落ちたエッセンスを楽しむことに絞って読み進めたのですが、けっして出来の良い方の短編ではない。主人公をああも尋常でない行為に掻き立てるのは、ひとえに殺された妻恋しの情念ゆえ。それがドランをキャデラックごと葬り去って誰の目にも触れさせない復讐手段を実行させた。正直、やり切れん思いで一杯にさせられる、良くも悪くもない短編でありました。別のいい方をすれば、さして印象に残る手合いではない、ということ。
 ━━今回の短編集には記載がないようだけれど、この短編の初出はキング・ファンのためのニューズ・レター『キャッスル・ロック』誌であった、と記憶します。そんな風に『コンプリート・スティーヴン・キング』に書いてありました。
 実をいえば、「ドランのキャデラック」を含むこの短編集『ナイトメア・アンド・ドリーム・スケープス』(全4冊)は、読んだ短編と読んでいない短編が入り混ざった本でもある。それだけに夏をやり過ごすための読書には打ってつけなのではないか、と、そう考えています。本格的な秋になったらドストエフスキーに戻りますよ。◆

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