第1035日目 〈イザヤ書第51章:〈シオンへの帰還〉&〈憤りの杯〉withS.キング-励みになる存在-関係ないけれど、……〉 [イザヤ書]

 イザヤ書第51章です。

 イザ51:1-16〈シオンへの帰還〉
 シオンを慰め回復させた(イザ49:11-13,51:3)主は、自分の民と国に語りかけていった。わが正義は遠からぬ日に実現し、わが救いも現れなん、と。わが腕の裁きは諸国の民を裁き、島々はわたしへ望みを置く、とも。天が消えて地が朽ち、人が消えようとも、「わたしの救いはとこしえに続き/わたしの恵みの業が絶えることはない。」(イザ51:6)
 主により贖われた民は、廃墟となったシオンへ、荒れ地となった父祖の地へと帰還する。━━、
 「主により贖われた人々は帰って来て/喜びの歌をうたいながらシオンに入る。/頭にとこしえの喜びをいただき/喜びと悲しみを得/嘆きと悲しみは消え去る。」(イザ51:11)
 主はいう、わたしはあなたの神である、と。わたしは、わたしの言葉をあなたの口へ入れ、わたしの手の影であなたを覆うことにしよう。シオンよ、あなたはわたしの民である。

 イザ51:17-23〈憤りの杯〉
 目覚めよ、エルサレム。立ちあがれ、シオン。わたしから憤りの杯を受け取って飲み干し、二度の災いに襲われたあなたよ。それゆえに聞くがよい。
 「見よ、よろめかす杯をあなたの手から取り去ろう。/わたしの憤りの大杯を/あなたは再び飲むことはない。/あなたを責める者の手にわたしはそれを置く。」(イザ51:22-23)

 本章でも、希望としてある主の正義と救いの預言がされています。つまりその預言は、来たるべき帰還を預言し、約束しているもの。勿論、これが「第二イザヤ書」の基調音であること、全体を支配する調子であることは、既に最初に述べた通りです。
 ノートには反映させませんでしたが、イザ51:2にアブラハムと並んで「あなたたちを産んだ母サラ」の名に、聖書は触れます。アブラハムは再三登場しているのでともかく、サラはずいぶんと久しぶりに目にする名前です。アブラハムといっしょに名が挙げられていることからお察しいただけましょうけれど、サラはアブラハムの妻となった女性でした。イサクの母であります。創12:5初出、17:15にてサライからサラへ改名し、特に17:15-19,18:1-15はイサク絡みの挿話となり、その後のイスラエル繁栄を考える際、忘れてはならない箇所でもあります。
 ノート中、「二度の災い」はアッシリアとバビロニアの襲撃をいいます。
 ノートには組みこめなかったが、非常に良い聖句があるのでご紹介します。曰く、━━
 「主はシオンを慰め/そのすべての廃墟を慰め/荒れ野をエデンの園とし/荒れ地を主の園とされる。/そこには喜びと悲しみ、感謝の歌声が響く。」(イザ51:3)



 S.キングの短編「争いが終わるとき」と「幼子よ、われに来たれ」を続けて読んだのですが、やはり何度読んでもこれらは印象の薄い作品であるという過去の評価は変わることがなさそうです。前者は1980年代後半、日本版『オムニ』誌であったか、「ラプラタの水」というタイトルで翻訳が掲載されましたよね。余談でした。
 最近仕事がとても楽しく思えてきました。なによりも感謝すべきは<人>に恵まれたこと。まだ見えていない部分が多々あるため、暫定的な結論さえ出すのは慎重になるけれど、励みになる存在があるのはいいことだ。それに、着実に数をこなせば自ずと結果が付いてくることも、自ら立証しましたしね。これを支えにして、確実に、正確にやってゆこう。
 関係ないけれど……4,50年でいいから一緒にいてくれませんか? 駄目かなぁ。◆

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