第1040日目 〈坂本九「上を向いて歩こう」を聴きました。〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 なんだか昨日はとてもすごい雷と雨でしたね。土砂降り、というべきか、バケツをひっくり返したような、と形容すべきか。同僚はあの突然の大雨を、スコール、と呼びましたが、考えてみればそれ以外の表現は微妙に的外れであるかもしれないな、と帰りのバスのなかで納得してみているさんさんかです。おまけに地震もあったし……その頃、さんさんかはキャリア・アップの面談中でした……やったぁ、お給料が上がったぞ。
 一昨日、SMAPの新譜『SMAP AID』を買ったのですが、いっしょに棚の裏で展開中であった坂本九のミニ・アルバム『上を向いて歩こう』もレジへ運びました。正直なところを申しあげると、坂本九をちゃんと聴いたことがなかった。かれが御巣鷹山の事故で亡くなったその日、その時刻、さんさんかは中学三年生で、さすがにこのままだと行ける高校もないのではないか、と焦りの気持ちが湧きあがり、親の勧めに従って落ちこぼれ専門の塾の夏期講習に参加していたのですが、その晩、事故の報道がひしめくなかで流れた「上を向いて歩こう」の歌詞が、その歌声といっしょに脳裏へ刻みこまれていついつまでも反復していたのを覚えている。
 爾後、ときどきTVの番組やCMでこの歌を聴くことはあったけれど、それ以外の歌を聴くことはなかったし、自分からも敢えて求めてゆこうとはしなかったのだ。それがなぜ、ミニ・アルバムとはいえ購入する気になったのか、と問われれば、それはもう、過日に観に出掛けた(蕁麻疹を発症したその日、その直前!)映画『コクリコ坂から』の影響によると言わざるを得ない。既に鑑賞した方には周知の事実であるが、坂本九/中村八大/永六輔によるこの不朽の名作が映画の挿入歌となり、映画をぐっと盛りあげ、引き締め、観客の心を昭和30年代の空気のなかへ導いてくれる役割を担っているのだ。
 いや、とにかくこれは美しくて、儚い名作である。歌い継がれる、語り継がれる歌には、われらの魂を奥底からグラグラと震わせる<力>がある。坂本九のこの歌も然りだ。われらは「上を向いて歩こう」という名作を持つ国民であることを、もっと誇ってよいのかもしれない。村上春樹が『スメルジャコフ対織田信長家臣団』(朝日新聞社)のなかで書いていて、同じ活動をしている団体もあるようなのだが、「上を向いて歩こう」を準国歌に制定しよう、という主張にも、さんさんかは(いまなら)両手を挙げて賛成してしまいたくなるのです。美空ひばりの「川の流れのように」も候補に挙げていいと思うのだけれど、こちらは「準」とはいえ<国歌>として歌うには難しいかな。それならば、いっそのこと、SMAPの「世界に一つだけの花」をこの際だから、<準々国歌>としてしまうのはどうだろう。駄目ですか、やっぱり?
 さて。ミニ・アルバムという形ながら坂本九の歌をまとめて4曲聴いてみると(※)、なんでおいらはもっと早くからこの人の歌を聴いてこなかったんだろう、と単純至極な疑問が浮かぶのを否定できない。もっとも、答えなんて出せようはずもないのだけれど。だって、聴くきっかけもタイミングもなかったんだもん。今度の休みの前日に、あのCDショップへ足を伸ばしてベスト・アルバムでも買ってみようかな。美空ひばりのアルバムはそろそろ引き取りに行かなくっちゃな。そうして聴き込んだ暁には、おそらく小説のなかで坂本九の歌が流れることであろう。実は、そろそろ書こうかと考えている震災当日の掌編小説に、「上を向いて歩こう」をモチーフとして登場させよう、と企んでいるのである。小説が書きあげられたら、きっとここでご報告しよう。
 ところで、いまの世に、「上を向いて歩こう」や「川の流れのように」の如くいついつまでも歌い継がれてゆく、語り継がれてゆく、日本人のアイデンティティに等しい歌が、どれだけ生まれているのかな。そうして、これからどれだけ生まれてくるのかな。すこぶる疑問に思い、ちょっと恐怖するさんさんかでした。
 昨日、SMAPの「STAY」に涙が出て困る、と書きましたが、歌詞を読んでみてくださいよ! 昼休みにも携帯電話で歌詞を読んでいたのですが、もう涙腺がゆるんで涙しそうでしたよ。おぐゆーさん……。
 明日からまたがんばる。まわりの人々へ、心の底からの感謝を! ありがとう!◆


※収録曲は他に、「一人ぼっちの二人」、「見上げてごらん夜の星を」、「ともだち」、「上を向いて歩こう」のカラオケ・ヴァージョンである。

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