第1053日目 〈気骨あるバルシャイのショスタコ全集を推す;DSCH特集〉 [日々の思い・独り言]

 何事にも時期というものがある。久々にショスタコーヴィチを聴こうとして向かったのは、BRILLIANTからリリースされて話題にもなったルドルフ・バルシャイ=WDR交響楽団による交響曲全集だった。
 バルシャイはロシア南部の地方都市クラスノダールの近郊にて1924年に生まれた。元はヴィオラ奏者だったが軈て指揮者に転向、モスクワ室内管弦楽団を組織。ショスタコーヴィチ没後の1977年に西側へ亡命した後も、作曲家の作品を各地で演奏、録音を重ね普及に貢献した。ちなみに作曲をショスタコーヴィチに、管弦楽書法をプロコフィエフに学び、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲の幾つかを弦楽合奏用に編曲したり、マーラーの交響曲第10番の補筆などに才を振るった。晩年はスイスに住まい、2010年に没した。享年86。
 バルシャイはショスタコーヴィチの交響曲を何曲か録音していたが、どちらかというと主観的な演奏であった。年を経て私財を投じて実現したBRILLIANTのプロジェクトはさすがに角が取れたか、かなり客観的にそれぞれの曲へアプローチしている。それでいて作品への情熱は寸分も減じていないのだから、恐れ入ることだ。バルシャイにとって、どれだけショスタコーヴィチが重要な位置を占める作曲家なのか、を明瞭に示した全集といえるだろう。
 毎日の仕事を終えてゆっくり聴き続け、すべてを繰り返し鑑賞し得た現在、いちばん心に残ってメロディが鳴り渡っているのは、交響曲第9番である。独ソ戦の勝利のあとで初めて発表される、しかも栄えある〈第9〉と来れば、期待を高く持つなという方が無理な話だ。ところが才人ショスタコーヴィチは聴衆を、それ以上に当局を煙に巻くような、軽い曲想の、小さな交響曲を発表した。
ディヴェルティメントという方がしっくりするこの曲は、実は地味に人気を持つ作品で、第5番や第7番よりも名演と呼ぶに相応しい演奏が揃っている。白状すれば、わたくしが生まれて初めて聴いたショスタコーヴィチの交響曲はこの第九番で、同じようなテイストを期待して拒まれたのが、ショスタコーヴィチに10年近くの別れを告げるきっかけだったのだ。
 これまで聴き得た録音はマニアから見ればたかが知れているが、わたくしはバルシャイの演奏で、改めてこの曲のリリカルさを思い知らされた。軽やかにダンスするかのような天衣無縫さを、この曲に感じる。しかしその裏でショスタコーヴィチが塗りこめた、逆説から生まれた皮肉もこの演奏から感じることができる。このあたりはやはり、ショスタコーヴィチと時代を共有した者の無言の強みといえるかも。
 次点を挙げるとすれば、やはり第14番か。創作と初演に大きく関与した交響曲だ。張りつめた緊張の持続を切迫した〈死〉についての想い事が途切れず続く約45分は、ショスタコ・ビギナーにはやや辛い体験かもしれないが、まずは聴き通してほしい。或る側面に於いて、これがショスタコーヴィチの真骨頂である。この破天荒な交響曲は、なにはおいてもバルシャイ盤をまず耳にしてから他へ進みたい。
 ショスタコーヴィチ・フリークには今一つ評判の芳しくないバルシャイ盤だが、それは必ずしもこの全集の存在意義を無意味化するものではない。演奏水準のムラのなさなど、安価な点共々これからショスタコーヴィチを聴こうとする人、新しい演奏を聴きたいと欲する人にこそ、推薦すべきアイテムなのではあるまいか?◆

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