第1089日目 〈エレミヤ書第2章:〈イスラエルの罪〉with悩んでいること。〉 [エレミヤ書]

 エレミヤ書第2章です。

 エレ2:1-37〈イスラエルの罪〉
 主の言葉がエレミヤに臨んだ、━━
 わたしはかつて、あなたたちが若いときの真心であり、花嫁のときの愛であった、と。かつて出エジプトを果たして荒れ野を彷徨っていたときは、多少の咎はあったと雖も従順であった、と。かつてイスラエルはわたし主にささげられた聖なる存在で、収穫の初穂であった━━それを食べる者はいずれもみな罰せられて、災いを蒙るものであった、と。
 なのに、あなたたちの先祖は、わたしにどんな落ち度を見出して離れていったのか。あなたたちの先祖は“乳と蜜の流れる地”カナンに入植後、徐々にわたしから離れてゆき、いまやわたしを軽んじて顧みなくなるに至った。あなたたちは訊ねたこともなかった、われらをエジプトから解放してこの地へ導いた主はどこにいるのか、と。祭司たちも同断である。いまやあなたたちイスラエルはバアルによって預言されたことに従い、とうてい助けになるはずのないもののあとを追った。そうして、わたしによって与えられた肥沃な大地を忌まわしいものに変えた。
 「それゆえ、わたしはお前たちを/あらためて告発し/また、お前たちの子孫と争う」(エレ2:9)と、主の言葉がエレミヤに臨んだ。
 エレミヤに臨んだ主の言葉の続きである、━━
 奴隷となったわけでも、家の僕となったわけでもないのに、なぜあなたたちは捕らわれの身となったのか。アッシリアやエジプトに依存して生き永らえようというのか。それがわたしへの背きである、と、どうして考えが及ばないのか。「あなたの犯した罪が、あなたを懲らしめ/あなたの背信が、あなたを責めている。/あなたが、わたしを畏れず/あなたの神である主を捨てたことが/いかに悪く、苦いことであるかを/味わい知るがよいと/万軍の主なる神は言われる。」(エレ2:19)
 かつてわが嗣業の民として諸国に名を知られていたあなたたちは、いまや遊女となりさがり、誰にでも情欲の目を向けるようになった。どれだけ身を清めて拭っても、一旦染みついた悪はわたしの目に明らかである。火急の段に遭えばふだんは忘れている主に向かって、どうかこの災難から救ってください、と懇願する。わたしは助けない。なぜユダの町々に坐す、自分たちがその手で拵えた偶像にひれ伏して、それらに助けを乞わないのか。
 「なぜ、わたしと争い/わたしに背き続けるのか、と主は言われる。」(エレ2:29)

 心が重なり合っていた蜜月を懐かしみ、それゆえに主は自分を顧みなくなった民を嘆き、立ち帰るよう言葉を重ねて説きます。が、どれだけエレミヤを通じて民に言葉を伝えても、もはや悪徳に染まったユダは傾けるべき耳を持たず、その心のなかに主を敬い畏れる気持ちが再び芽吹く様子は見られなかったようです。そんな悲しみと絶望が、主をしてあらかじめ構想された未来の実現を決意させたのかもしれない。そんな風に思います。



 悩み?
 仕事(通勤時間・ときどきやる残業込み)と読書・執筆(専ら聖書読書ノート、それに基づくブログ原稿の作成と更新)の配分を如何にし、どうやって継続させるか、について未だ決着を見出せずにいること。これってけっこう難題だ。毎日帰りに喫茶店へ寄るお金があればなぁ……(これ、けっこうバカにならない金額だ)。嗚呼!
 そうして、おぐゆーさんのこと。
 いろんなこと、様々なこと。
 うーん、とかくこの世は住みづらい、って本当ですね、漱石先生!!◆

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