第1091日目 〈エレミヤ書第3章2/2&第4章〈悔い改めへの招き〉with言いたいこと。〉 [エレミヤ書]

 エレミヤ書第3章2/2と第4章です。

 エレ3:19-4:4〈悔い改めへの招き〉
 主はいった、━━
 ずっとむかし、わたしはわが子イスラエルの未来をさまざま想って、たとえばかれらが暮らしてゆくためには、地上にあるうちでも一際麗しい土地を与えて、子々孫々に至るまでその大地を継がせよう、と考えていた。わたしを<父>と呼ぶ子らが、よもや裏切ったり離れてゆくことはあるまい。わたしはそう思っていた。が、イスラエルはわたしを欺き、離れていった。かれらはわたしを裏切った。
 かれらの嘆き、訴える声が裸の山々から聞こえる。というのも、かれらがわたしの定めた正しい道から外れて、かれらの神が誰であるかを忘れたからに他ならない。それでも、かれらは悔い改めようとしている。「我々は恥の中に横たわり/辱めに覆われています。/我々は主なる神に罪を犯しました。/我々も、先祖も/若いときから今日に至るまで/主なる神の御声に聞き従いませんでした」(エレ3:25)といって。イスラエルよ、立ち帰れ、わたしは背いたあなたたちを許す。
 わたしのもとに立ち帰ろうとするイスラエルよ、あなたたちちのなかから呪われた部分を捨て去るがよい。そうすれば、もう迷うことも、正しい道から外れることもない。あなたたちが真実と公平と正義を以て「主は生きておられる」と誓うなら、諸国民もあなたを通してわたしの栄光に触れ、わたしの祝福を受けるようになる。そうして、あなたたちを誇りとするだろう。
 「ユダの人、エルサレムに住む人々よ/割礼を受けて主のものとなり/あなたたちの心の包皮を取り去れ。/さもなければ、あなたたちの悪行のゆえに/わたしの怒りは火のように発して燃え広がり/消す者はないであろう。」(エレ4:4)

 親の心子知らず、といいますが、まさに聖書に於ける神と民の関係もそうであったか、と納得させられる一章です。
 ここで主は、いまならまだ間に合う、といいます。いまならだやり直せる、まだわたしの前に正しい者であることができる。悔い改めてわたしの許に立ち帰るなら、滅びはまぬがれる。これが、イスラエル/ユダに対して主が、エレミヤを通じて与えたメッセージであります。それは諸国へもあまねく轟く栄光と祝福をも約束するのでした。以後もこうした救済のメッセージは与えられます。が、もうちょっと限定されたそれとなることで、だんだんとユダが滅びの日に向かって邁進してゆくのがわかるようにもなっています。
 なお、引用したエレ4:4と後日取り掛かるエレ9:24-25は、割礼をキーワードにした対照的な文言となっております。較べて読んでみると面白いと思います。



 喉を痛めた。まったく声が出ない。気道をふさがれたような感じだけれど、空気だけはなんとか肺に取りこめる。わかるかな、この感覚……。
 全地を造り給ふた神は人の世の雑事にとんと関心がないようだ。まったく好い加減だ、最後まで責任を持ってほしいな。
 社会に出たその瞬間から人は、親や兄弟とさっさと縁を切ってもう二度と会わないようにした方がよいと思う。自分たちが親になっても同じこと。そうやって人は新しい家族を作ってゆけ。肉親なんて永遠の敵ですよ。◆

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