第1093日目 〈エレミヤ書第5章:〈エルサレムの陥落〉with三浦しをん『ふむふむ 教えて、お仕事!』(新潮社)を買ったんだけれど、〉 [エレミヤ書]

 エレミヤ書第5章です。

 エレ5:1-31〈エルサレムの陥落〉
 預言者エレミヤはいった、エルサレムの住民に一人でも真実を求め、正義を行う人がいるのなら、わたしはエルサレムを赦したい。が、そんな人は一人もいなかった。かれらの誓いは偽りだったのだ。主がどれだけ打とうとも、かれらはかたくななままだ。主に立ち帰る様子もない。
 かれらは無知ゆえに主の道、主の掟を知らなかったのだ、とエレミヤは考えた。却って身分の高い人たちならば、主の道、主の掟を知るだろう。━━が、実際はそうではなかった。いまや民はみな軛を折り、綱を断ち切り、主に対して背きに背きを重ねている。身分の貴賤にかかわりなく、だ。そんなかれらをどうして赦せよう。嗚呼、主はかれらの悪にかならず報いるだろう。
 かれらは、自分たちに災いが臨むはずがない、という。しかし、見よ、主は遠くから一つの国をユダの上に、エルサレムの上に襲いかからせる。ユダの砦の町々はかの国の勇者たちに破壊されてゆく。それでも主は自分の民を全滅させたりはしない。その代わり、かつて異教の神々に仕えた如く、民は他国民に仕えるようになる。
 ヤコブの家よ、ユダの民よ、主はこういう━━とエレミヤがいった。背き続けるお前たちの罪がわたしを畏れ敬う気持ちを退け、更なる罪へ、更なる悪へと走らせる。その行為にかならずわたしは報いる。
 「恐ろしいこと、おぞましいことが/この国に起こっている。/預言者は偽りの預言をし/祭司はその手に富をかき集め/わたしの民はそれを喜んでいる。/その果てに、お前たちはどうするつもりか」(エレ5:30-31)と主がいった。

 ちょっと長い章です。途中で混乱するかもしれませんが、だいじょうぶ、要は、━━
 エレミヤはいう、「もしエルサレムに一人でも正しい者がいれば、わたしはエルサレムを赦す」でもそんなのは一人もいなかった。エルサレムの人々は自分たちの上に主の怒りが臨むはずはない、と高を括っている。でもそんなはずはない、みながみな、身分や職業にかかわりなく堕落しているからだ。だから主は、遠くから一つの国を派遣してユダを蹂躙させ、異郷の民の下にひれ伏すようにさせるのだ。主がかならず民の悪に報いる、というのはこういうことである。
 ……なんでしょうね、この簡潔にして明快な要約は。本編(上)でもこうやれ、っていう話ですよね。善処します。
わたくしは最初にこの章を読んだとき、「前夜」でも触れたミケランジェロ描くエレミヤ像を想起しました。坐りこんで憂愁に沈むかれの姿が、本章の言葉の裏に透かし見えてくるのです。あなたはどうですか?



 ようやく三浦しをん『ふむふむ 教えて、お仕事!』(新潮社)を買ったんだけれど、『yom yom』連載中にあった写真が幾つか削られているよね。それがちょっと残念、でも、仕方ないか。個人的にはヘルメットを被った三浦しをんの写真がけっこうツボだったのだが……。あと、掲載誌が手許にないので記憶頼みでいうのだけれど、単行本の方は連載時と順番が入れ替わっているよね? そんなどうでもいい話でした。新作小説『舟を編む』(光文社)を読むのはもう少し先かなぁ。◆

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。