第1097日目 〈エレミヤ書第9章:〈ユダの堕落〉with有休を取ったあとの企みごと。〉 [エレミヤ書]

 エレミヤ書第9章です。

 エレ9:1-25〈ユダの堕落〉
 主はいった、━━
 ユダの民は著しく堕ち、姦淫する者、裏切る者の集まりと化した。かれらは真実を語らず、偽りを語って悪事を重ねる舌を持つ。いまや人は隣人を警戒しなくてはならない。欺くなかれ、という十戒の一つを破り、かれらの舌は専ら偽証に使われるようになったからだ(エレ9:4←→出20:16)。
 こんなかれらをわたしは、火のなかに放りこんで溶かして、試そうと思う。舌は欺きを語って偽り、心は偽りを以て悪を企む。わたしはそれを許さない。わたしはかならずかれらの悪に報いる。人よ、焼き払われて荒廃した牧草地に立ち、哀しみつつ嘆きつつ哀歌をうたえ。瓦礫の山となったかつての王都と国のそこいら中にあった町々、そこで暮らす者はもういない。理由は、知恵ある者には自ずとあきらかだろう(ex;エレ9:11-15)。
 ユダの民が目から涙をしとどに流し、目蓋には水を滴らせている。捨て去られたシオンの町の、どこからともなく嘆きの声が聞こえてくる━━荒し尽くされ、甚だしく恥を受けたことを嘆く声が。上手な泣き女を迎えにやって、ここで嘆きの歌をうたわせよ。然るに女たちはわたしの言葉を聞き、受け入れるがよい。仲間に嘆きの歌を教え、そうして互いに哀歌を学べ。
 ━━わたしは<その時>が来たら、包皮に割礼を受けた者、心に割礼のない者、即ちイスラエルの家をことごとく罰する。

 「主はこう言われる。/知恵ある者よ、その知恵を誇るな。/力ある者は、その力を誇るな。/富ある者は、その富を誇るな。/むしろ、誇る者は、この事を誇るがよい。/目覚めてわたしを知ることを。/わたしこそ主。/この地に慈しみと正義と恵みの業を行う事/その事をわたしは喜ぶ、と主は言われる。」(エレ9:22-23)

 舞台裏をお話しすれば、読んでわかるまでに時間を要した章でした。ノートを書くにも難儀しました。一旦書きあげてなお至らず、放棄して翌る日に筆を執ったのでありました。
 難儀したのは引用した箇所でした。時間をかけてじっくり読み、うんと考え、ようやっと、成る程そういう事か、とわかったのでした。うれしかったけれど、それ以上に、自分の鈍さにほとほと嫌になりましたよ。
 この引用した箇所は変奏した形で、新約聖書の「コリント人への手紙 一」(1:31)と「同 二」(10:31)に出てまいります。なお、「誇るな」とは「頼るな」という意味合いであり、「捨てろ」というのではありません。



 吾輩は倉庫内軽労働者である。有休はまだない。一つの企みごとは、まとまって休みが取れたら、是非〈ゴシック名訳集成〉全3巻をじっくり、腰を据えて耽読すること。ここに戦後しばらくまで息づいていた近代日本語、最良極上の成果がまとまっているように思う。特に平井呈一による擬古文訳、ホレス・ウォルポール『オトラント城奇譚』と矢野目源一による単独訳版、ウィリアム・ベックフォード『ヴァテック』と皆川正禧による奇異にして壮麗な訳、ジョージ・メレディス『シャグパットの毛剃』は万人必読、とまでいっておきたいものであります。◆

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