第1100日目 〈エレミヤ書第11章2/2:〈エレミヤの訴え〉with爆睡の時間のなかで見た夢は、……〉 [エレミヤ書]

 エレミヤ書第11章2/2です。

 エレ11:18-23〈エレミヤの訴え〉
 エレミヤは主に教えられて、故郷アナトトの人々が自分を暗殺しよう、と企んでいるのを知った。原因は預言者の態度にあった。かれは時のユダ国の王ヨシヤが断行する宗教改革を支持した。国内から異教の神の存在を、偶像も含めて排除すると共に、地方の町々にあった聖所を廃して中央に一極化する、というのが宗教改革の二つの柱であった。
 エレミヤはアナトトの町にある地方聖所に仕える祭司の子でありながら、自分の家や町の家々に職業的経済的打撃を与えるヨシヤ王の宗教改革に賛成した。アナトトの人々はそんなエレミヤを疎ましく感じ、遂には徒党を組んで暗殺計画を立てるに至ったのだ。エレミヤはこの暗殺計画を、主から教えられたのである。かれはそれまでなにも知らなかった。
 アナトトの人々がいった、「木をその実の盛りに滅ぼし/生ける者の地から絶とう。/彼の名が再び口にされることはない。」(エレ11:19)また、「主の名によって預言するな/我々の手にかかって死にたくなければ」(エレ11:21)とも。
 エレミヤはわがために主へ訴え、故郷の人々が主によって復讐される見させてほしい、といった。それに応えて主がいった、━━ 
 「見よ、わたしは彼らに罰を下す。/若者らは剣の餌食になり/息子、娘らは飢えて死ぬ。/ひとりも生き残る者はない。/わたしはアナトトの人々に災いをくだす。/それは報復の年だ。」(エレ11:22-23)

 「前夜」でも触れたエレミヤ暗殺の当該章です。念のため、背景を描いておきました。
 新共同訳聖書の付録に、新旧各巻の大雑把な紹介があるのですが、「エレミヤ書」を挙げて記された一節を引きます。曰く、「「エレミヤは民を愛しているが、破局の近いことを告げる孤独の人であり、しばしば迫害される」(付2)と。わたくしを最初に聖書に導いた薄い一冊、内田和彦『「聖書は初めて」という人のための本』(いのちのことば社)の「エレミヤ書」紹介にもだいたい同じような意味合いのことが書かれています。今日読んだ部分がエレミヤの孤独と迫害を端的に記した箇所であることを、読者諸兄にはおわかりいただけると思います。
 取り立てて今日のノートに言い足すことはありません。列王記や歴代誌でヨシヤ王の宗教改革の場面を併せて読めば、もうそれだけで充分だと思います。



 爆睡すること約10時間。向かいの家で外壁塗り替えのための足場が組まれていたことも気附かずにいた。
 そんな爆睡の時間のなかで見た夢は、ずいぶんと切なく、胸苦しくなり、それでも最後にはハッピーエンドに終わる、終始一貫した流れを持つ恋物語であった。夢の物語を細かいところまで反芻しつつ延滞すること頻りの本を図書館へ返却する道の途次、自分がどれだけあの人を深くまで想うてしまっているのかを実感。
 これはわが願望か。それとも構想されて確定した未来なのか。さて?◆

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