第1101日目 〈エレミヤ書第12章:〈正しいのは、主よ、あなたです。〉&〈主の嗣業〉with<王>の御許へ帰る。〉 [エレミヤ書]

 エレミヤ書第12章です。

 エレ12:1-6〈正しいのは、主よ、あなたです。〉
 エレミヤはいう、━━
 主よ、正しいのはあなたです。が、それでもわたしはあなたに問い質したい。なぜあなたに背く者の道は栄え、あなたを欺く者は安穏として暮らしているのかを。かれらの根を植えたのは、主よ、あなただ。あなたがかれらを植えたから、かれらは根を張り、この地にたくましく蔓延(はびこ)っている。かれらの口はあなたに近いが、かれらの腹のなかはあなたからはるかに遠い。
 主よ、あなたはわたしの心を究められたはずだ。どれだけかれらと違うかも、よくご存知だろう。だから、わたしをかれらから切り離し、かれらを殺戮の日のために分け置いてください。この地が乾き、野の青草がすべて枯れ、鳥も獣もいなくなった原因は、かれらだ。かれらはあなたを疎んじ、かつ軽んじています。
 主はこう仰る。徒歩で行く者と競っても疲れるのなら、どうして馬を駆る者たちと争えようか。エレミヤよ、自分の兄弟、家の人々さえあなたを欺こうと画策している。好意を示されても鵜呑みにするな。

 エレ12:7-17〈主の嗣業〉
 主がいった、━━
 いまやわたしの嗣業は災いを降すことになった。わが嗣業の民はいつしか森に潜む獅子となり、わたしに向かって唸り声をあげるようになった。わたしはわたしの家を、わが嗣業を棄て、愛するものはすべて敵の手に渡した。
 多くの牧者がわたしの与えた土地を踏みにじり、悪いものに変えた。そこは荒れ野となり、打ち棄てられて嘆く地となった。そこを心にかける者はいない。裸となった荒れ野の山の向こうから略奪者たちが襲い来たれば、あなたたちすべて肉なる者に平和はない。
 わたしはイスラエルに与えた嗣業へ触れる近隣の悪い民を、すべてかれらの地から抜き棄てる。が、わが名によって誓うことを学ぶなら、かれらはわが民の間に立つことができる。誓いも学びもしないなら、わたしはかれらを滅ぼす。
 わたしはまた、「ユダの家を彼らの間から抜き取る。わたしは彼らを抜き取った後、再び彼らを憐れみ、そのひとりひとりをその嗣業に、その土地に帰らせる。」(エレ12:14-15)

 前半エレ12:1-6は昨日の第11章とつながる部分でもあるため、本来なら同じに扱うつもりでしたが、都合があって斯くなったことをお断りしておきます。
 ここは既に読んだ「ヨブ記」とも通じ合うテーマが塗りこめられている。本文でいえば、第1-2節がそれに該当します。なぜ神に従う者が迫害されて、そうでない者がいたずらに栄えるのか。これはずっと時代が下ってもユダヤ人離散(ディアスポラ)・殺戮(ホロコースト)を想起させるものがあり、キリスト教社会のみならず世界中のさまざまな国、社会が経験し、またこれからも繰り返してゆくであろう人間の宿命のように感じます。
 そんな流れで第12章の後半を読むと、ここで語られ主なる神、万軍の主による、嗣業の民ことイスラエル/ユダへの最後通牒の普遍性に思わず空恐ろしくなるのであります。



 うーん、大問題が発生した。これを<大>と称すあたり、けっこうなお気楽人だな、と思うのだが、まあ、要するにこういうことです。つまり、『田舎教師』を読了したらドストエフスキーに戻るんだ、『未成年』を最初から読み直して『カラマーゾフの兄弟』へ至って『虐げられた人々』をはじめとする未読作品を消化してしまうんだ、それを以てドストエフスキー読書を完了させるんだ、と宣言までしていたのですが、ここにそれを無効とすることを小声でそっと告白しなければならなくなったのだ。
 昨日出掛ける際に読むものがなくて困ったさんさんかは、床に積まれた本の山のなかに、この夏読みかけてそのままになっていた一冊の文庫を発見した。即ちスティーヴン・キングの短編集『いかしたバンドのいる街で』(文春文庫)である。これの巻頭に入っている「献辞」を読んでいる途中で他に移ってしまったんだよな。なぜわたくしは<王>へ背を向けることをしたのだろう? 件の作品は本邦初訳であった『スニーカー』(ハヤカワ文庫)で既にいちど読み、今世紀初頭(いまもそうなのかもしれないけれど)に小説を再び書き始めた際、再び読み返した思い出の一編だ。それをこうもあっさりと抛ったとは……。
 紆余曲折もあったようだが、わたくしは<王>の御許へ戻り、再びかの短編集を昨日から読み返す次第と相成った。当分は全4冊の『ナイトメア・アンド・ドリームスケープス』に読み耽ることになるだろう。それはおそらく来月末ぐらいまで続きそうな予感だ。なによりも、神様としか言い様のない作家に、こんなことをいってもらえるなんて、しあわせだ。曰く、「この世はおおむね、見た目よりもずっといい、ことに、頭が良すぎて優しくなれない人たちの目に映るよりもいいものなんだ」(「献辞」P75)と。帰りの電車のなかでこの「献辞」は読了、明日は「動く指」を読む予定。じきに感想も書きたいね!
 どうでもいいことだけれど、そんなことを、未来の自分のためも兼ねて報告しておきます。◆

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