第1103日目 〈エレミヤ書第13章2/2:〈王と大后〉&〈罪の深さ〉with映画『探偵はBARにいる』を観てきました。〉 [エレミヤ書]

 エレミヤ書第13章2/2です。

 エレ13:18-22〈王と大后〉
 主がいった。エレミヤを通して、王と大后へ与えた言葉、━━
 いまやお前たちの頭から王冠は転がり落ちた。身を低くして泣いていよ。ネゲブの町々はすべて閉じられて開ける者はなく、ユダの民はすべて捕囚として連れ去られた。いったいあなたたちへゆだねられた輝かしい羊の群れはどこにいるのか。指導者として育てた人々が失われたいま、あなたたちはそれについてなんと弁明するつもりか。
 王よ、あなたは自らの心に問うであろう、なぜこんなことがわたしの身に? と。他でもない、あなたの罪の重さのゆえに。

 エレ13:23-27〈罪の深さ〉
 主がいった、━━
 クシュ人や豹がその肌の色、その皮膚の模様を変えられるなら、悪に馴らされたお前たちも正しい者となり得るだろう。が、そんなことはあり得ない。わたしは不義を重ねたお前たちを散らす。これがお前たちの運命だ。わたしを忘れて、むなしい偶像に依り頼んだお前たちの運命だ。
 「災いだ、エルサレムよ。/お前は清いものとされえない。/いつまでそれが続くのか。」(エレ13:27)

 ここは珍しく主の言葉の底に、諦念と慟哭が潜んでいるような印象があります。敢えていうなら、戒めの言葉でありながら一種の告別の歌とさえ感じられる部分。言を多く費やすのは無用、とさえ思うところであります。



 明日から第24回東京国際映画祭が始まる、という今日(昨日ですか)、遅蒔きながら映画『探偵はBARにいる』を観てきました。正直なところ、核心に至るまでがやや間延びしているかな、と感じたけれど、語られる物語には語る物語にふさわしいペースがある。きっとこれはこれで正しいペースだったのだ、と、いまは思うことであります。本作に較べて前回の『神様のカルテ』はちょっと浮き足立っていたようです。
 『探偵はBARにいる』についていえば、丁寧な演出と練り込まれた脚本、出演者の、端役に至るまでの存在感と配役のセンスが光った作品、とわたくしは感じました。賛否両論あるようですが、大泉洋の探偵役はこれ以上にないハマリ役である、と感じましたよ。これらの条件が揃った今年の日本映画のベスト4に選んでも良い作品に、第2作が準備されているとの報告はまことにうれしい限りです。しかし松田龍平のすっとぼけぶりはじつに小気味よくて安心できますね。
 ……と、久しぶりに映画の感想を書いてお披露目するのに不安ですが、また折に触れて、観た映画について書いてみたいものです。それにしても、東京国際映画祭ではどの作品を観に行こうかな。時間、ないかなぁ……。◆

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