第1104日目 〈エレミヤ書第14-15章1/2:〈干ばつの災い〉with2012年用の年賀状小説。いつまでも、……〉 [エレミヤ書]

 エレミヤ書第14-15章1/2です。

 エレ14:1-15:9〈干ばつの災い〉
 ユダは干ばつに襲われた。主の言葉がエレミヤに臨んだ。雨は降らず、貯水池の水は干上がり、草木は枯れ、生きとし生けるものはすべて食糧危機に見舞われる。そうして、大地はひび割れて。
 主よ、御名にふさわしく行動してください、とエレミヤがいった。われらは御名によって呼ばれる者、どうかわれらを見捨てないでください。が、主はそれを拒んだ。いまや主は、ユダの罪に御心を留め、咎を罰しようとしている。エレミヤよ、と主がいった。この民のために祈るな、わたしは剣と飢饉と疫病によってかれらを滅ぼす。
 わたし以外の預言者は、とエレミヤがいった。われらは剣によっても飢饉によっても疫病によっても滅びることはない、といい、われらには確かな平和が与えられる、と民にいっていますが? 主は否定した。かれら預言者を遣わした覚えはない。その預言は偽りだ。かれらは剣と飢饉によって滅び、かれらの言葉を聞いていた民もそのあとを追って、葬られることもない。わたしはかれらの上に、かれらの悪を注ぐ。
 それを承けてエレミヤの曰く、われらはわれらの犯した罪を知っています、過ちを犯したことも知っています、どうかわれらを見捨てないでください、と。「我々はあなたを待ち望みます。/あなたこそ、すべてを成し遂げられる方です。」(エレ14:22)
 しかし、主はその訴えを退けた。たとえモーセとサムエルがわたしを執り成すと雖も、わたしはこの民を顧みない。かれらは四種類の手段で罰せられて、この乾燥しきった地の上に倒れる。即ち、疫病によって、剣によって、飢えによって、捕囚によって、である。「わたしは地上のすべての国が、彼らを見て恐怖を抱くようにする。それはヒゼキヤの子ユダの王マナセがエルサレムでしたことのためである。」(エレ15:4)
 主は重ねていった、エルサレムよ、誰がお前のことを憐れもう? 誰がお前のことを嘆こうか? 誰がお前の安否を心配しようか? いまや終わりの時は来たれり。
 「わたしは手を伸ばしてお前を滅ぼす。/お前を憐れむことに疲れた。」(エレ15:6)

 ユダを見舞った干ばつはヨシヤ王が宗教改革に着手して間もない頃にあった、といわれます。王が主導する改革━━主なる神への信仰に立ち帰るための宗教改革が断行されていた裏で、主とエレミヤの間にはこのような対話があった。遠からずバビロニアが襲来して国を滅ぼすことも勿論ですが、ヨシヤ王によるせっかくの宗教改革が水泡に帰すことを、エレミヤは知っていたわけであります。
 そう考えると、ここで見る主の言葉にはこれまでにも増して激しさが宿り、説得も反駁も許されぬものがあるように感じます。もはやこれは宣告です。なんの? 崩壊を実行する、という主の決意が述べられた、宣告。



 そろそろ2012年用の年賀状小説に着手しなくてはならない。去年は喪に服していたから出せなかったけれど、いずれにせよ今年の分から新しいツィクルスに突入する。
 このツィクルスのテーマは、<いつも、いつまでも、いっしょに>。
 ちっぽけだけれど、これがすべて。
 これまでは、こんなささやかな願いすらこの現実世界ではかなえられないんだ、“Not Alone”なんて嘘だよ、って思ってきたけれど、もしかしたら違うのかもしれない。あんがいすぐそこに幸せってあるのかもしれない。必要なのは、勇気と腹を括ること。そうして、相手を想い、裏切らず、哀しませないこと。その想いって、<女神>がくれた最高の贈り物なんだ(SMAPだ!)。まあ、どうなるかわからないけれどさ。
 だから……もういいよね? Always!◆

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