第1105日目 〈エレミヤ書第15章2/2:〈エレミヤの苦しみと神の支え〉with玉砕だったのかもしれない。〉 [エレミヤ書]

 エレミヤ書第15章2/2です。

 エレ15:10-21〈エレミヤの苦しみと神の支え〉
 なにをしたでもするでもないのに、エレミヤはユダ中の人々から憎まれ、呪われる者となった。なぜなのですか主よ、とかれは問う。わたしはかれらのためにも幸いを願い、災いや苦しみがかれらを襲ったとき、あなたに執り成しをしたではありませんか。
 主がいった、わたしはユダの富と宝をあらゆる罪の報いとして敵の手に渡し、見知らぬ敵の国へ連れてゆかせる。勿論、奴隷としてだ。わが怒りはユダに対して燃え続ける。
 エレミヤはいった、わたしを迫害する者に怒りを降してください、わたしが取り除かれることのないようにしてください、と。「わたしがあなたのゆえに/辱めに耐えているのを知ってください。」(エレ15:15)主よ、わたしはあなたの名を以て呼ばれている者です。
 続けてエレミヤはいった。あなたはわたしを憤りで満たした。なぜ、わたしの痛みは引かず、傷は重くて癒えないのですか。あなたはわたしを裏切って、行くあてのない流れのようにした……。
 それに対して、主がいった、━━
 「あなたが帰ろうとするなら/わたしのもとに帰らせ/わたしの前に立たせよう。/もしあなたが軽率に言葉を吐かず/熟慮して語るなら/わたしはあなたを、わたしの口とする。/あなたが彼らのところに帰るのではない。/彼らこそあなたのもとに帰るのだ。
 この民に対して/わたしはあなたを堅固な青銅の城壁とする。/彼らはあなたに戦いを挑むが/勝つことはできない。/わたしがあなたと共にいて助け/あなたを救い出す、と主は言われる。/わたしはあなたを悪人の手から救い出し/強暴な者の手から解き放つ。」(エレ15:19-21)

 苦しみに遭っているとき、嘆きの淵にいるとき、哀しみに沈んでいるとき、支えとなる存在があるのはうれしいものです。それだけで心を強く保ち、律していられようというものだ。
 エレミヤもユダの人々から迫害されているとき、主なる神の支えがあってどれだけ暗鬱とした気持ちが軽減されたことでしょうね。おこがましい発言ではあるけれど、ちょっとわかるな、その時の心のなかは。
 嗚呼……!!



 んん、玉砕? そうなのか? それとも、思わせぶりな態度、って奴か……?
 毎度SMAPの歌詞で申し訳ないが、いまの気持ちはこんな感じだ。♪何度も諦めそうになって その度また繋いだ夢/(中略)/苦しみ悩み続けてた 何度も諦めようとした/それでも歩いてきたこの道は たったひとつの僕の夢さ♪(「この瞬間、きっと夢じゃない」より)
 ふしぎと諦められないし、なんだかまだ先があるような予感がある。毎日顔を合わせるんだから、そう思っていないとやっていられない、というのが正直なところだ。概ね、ピリオドは打たれたのだ、と考えるべきなのだろうけれど。ぼくは一生独りなのかな?
 でも、まだ「オレンジ」なんて歌わないぞ! 歌いたいのは、「STAY」だ!!◆

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