第1112日目 〈エレミヤ書第21章:〈命の道と死の道〉withこの7日間の缶ビールの消費量が、……。〉 [エレミヤ書]

 エレミヤ書第21章です。

 エレ21:1-14〈命の道と死の道〉
 ユダ王国がその王位に最後の君主、即ちゼデキヤを戴いていた時分。王の命令によって、二人の男がエレミヤの許へ遣わされてきた。男たちは、バビロニアの接近を告げ、主の御業に救いを求めた。主の言葉がエレミヤに臨み、かれはそれを王の使者へ伝えた。主の曰く、━━
 わたしは、いまは城壁の外へ向けられている剣の矛先を、今度は都の中心に集める。そうしてエルサレムの住民を、家畜や獣まで含めて打つ。かれらは強力な疫病によって倒れて、死ぬ。戦や疫病、或いは飢饉を生き延びた者たちはみな、バビロニアの手に渡り、撃たれる。バビロニアの王はためらわず、惜しまず、憐れまない。
 「見よ、わたしはお前たちの前に命の道と死の道を置く。この都にとどまる者は、戦いと飢饉と疫病によって死ぬ。この都を出て包囲しているカルデア人に、降伏する者は生き残り、命だけは助かる。わたしは、顔をこの都に向けて災いをくだし、幸いを与えない、と主は言われる。この都はバビロンの王の手に渡され、火で焼き払われる。」(エレ21:8-10)
 また、以下はユダの王家に対しての主の言葉である。曰く、━━
 ダビデの家よ、お前たちの犯した悪事のゆえに、わたしの怒りの炎は燃えあがる。お前たちは自分が安泰だと思うているかもしれぬ。自分たちの身に災いが、わたしの怒りが降ることなどあるのだろうか、と。わたしはお前たちの悪事に報いる。怒りの火は周囲に放たれ、その火はすべてを焼き尽くす。

 読んでそのまま、素直に受け取ればよい章なのですが、あれ、と思う点が一つだけ。
 本文には反映させませんでしたけれど、聖書にはバビロニア王として固有名詞が挙げられています。その名は「ネブカドレツァル」。これまでわれらが読んで知っていたバビロニア王は「ネブカドネツァル」でした。些細な相違なのですが、これはもしかすると、バビロニアとユダで文字の表記方法が異なっていたことに起因するのかもしれません。このあたりは聖書学者に納得ゆくまで教えていただきたいものであります。
 なお、「列王記」と「歴代誌」のゼデキヤ王の記述のなかに、祭司たちがエレミヤの許を訪れた、という記事はありませんが、かれの許に王からの使者が派遣されてきたのはどうやら事実であったらしい。こうした小さな、断片的な記述を再構成して、王国時代末期の歴史が綴られています。



 いつもの飲み場が占拠され、仕方なく第二の飲み場へ。マンションに遮られて南の空を望めぬのが難といえば難だが、それはともかく。
 この7日間の缶ビールの消費量が大変なことになっている。20本以上! すべて“絹の贅沢”だ。2ダースをわずか1時間半で飲んだのは別として、そうするだけの物想いの材料がわたくしにはあるのだ。避けられているのは……。◆

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