第1116日目 〈エレミヤ書第25章:〈神の僕ネブカドレツァル〉with年賀状用の小説&あの人のいない職場で考えた。〉 [エレミヤ書]

 エレミヤ書第25章です。

 エレ25:1-38〈神の僕ネブカドレツァル〉
 前606年、即ちヨヤキム王第4年、バビロニアではネブカドレツァル第1年のこと。ユダの民すべてに対する主の言葉がエレミヤに臨んだ。かれはそれを、ユダのすべての国民、エルサレムのすべての住民に語った。曰く、━━
 私はヨシヤ王第13年から今日に至るまでの23年間、自分に臨んだ主の言葉をあなた方へ語り聞かせてきた。私エレミヤだけではない、他の預言者たちもそうだった。われわれは、主の道に立ち帰って悪を捨てよ、主以外の神に依り頼みそれに従うな、といってきた。しかしあなた方は、主の言葉にも、われわれの言葉にも、耳を傾けず、従わなかった。あなた方は偶像を作ってこれをあがめ、それゆえにこそ主を怒らせた。主の災いがあなた方に降る。
 主はこう仰る。わたしはバビロニアの王ネブカドレツァルをわが僕として召し、北の諸民族を動員させて南進させ、ユダとこの王都を滅亡させる。そこはまったき廃墟となり、そこを通りかかった者たちを呆然とさせる。生き残ったユダの民はバビロニアの捕虜となり、かの地に連れてゆかれる。捕囚民となったユダはそこで70年を過ごす。そうしてその70年目にこそ、バニロニアの王とその民、カルデア人の地をその罪ゆえに罰する。そこは永久(とこしえ)の荒れ野となる。
 「わたしはこの地についてわたしが語った言葉、エレミヤがこれらすべての国々について預言し、この巻物に記されていることを、すべて実現させる。彼らもまた、多くの国々と強大な王たちに仕えるようになる。わたしは、彼らの行いとその手の業に応じて彼らに報いる。」(エレ25:13-14)
 主は怒りの酒の杯を用意し、私に渡した。主が私を遣わすすべての国々にそれを飲ませるように、と。私はその杯を取り、遣わされるすべての国々に飲ませた。即ち、エジプト、ウツの地、ペリシテ人の地━━アシュケロン、ガザ、エクロン、アシュドドの王とその民のすべてに。また、エドム、モアブ、アンモン、ティルス、シドンの王とその地のすべての人々に。また、海の向こうの島々の王たちに。また、デダン、ブズ、テマ、もみあげの毛を切っているすべての人々に。また、荒れ野に住むアラビアのすべての王と混血の民の王、ジムリ、エラム、メディア、北方諸国のすべての王に。そうして最後にバビロンの王に。私は主の怒りの酒を飲ませる。
 主はこう仰る、「飲んで酔い、おう吐し、倒れて起きあがるな、わたしがお前たちの中に送る剣のゆえに。彼らがあなたの手から杯を受けず、飲むことを拒むなら、あなたは彼らに言うがよい。万軍の主はこう言われる。お前たちは必ず飲むことになる。」(エレ25:27-28)
 主はこう仰った。主の激しい怒りの言葉を、ユダのすべての国民、エルサレムのすべての住民に告げよ、と(エレ25:30-38)。

 バビロン捕囚と70年後の捕囚解放を予告した章。「列王記」と「歴代誌」の当該箇所、「エズラ記」冒頭を併せて読んでいただきたいと願うこと、いつもと変わりはありません。
 引用したなかにある「この巻物」とはエレ36:2にある、エレミヤがバルクに後述した巻物をいうのでしょうか。となれば、この巻物が<原エレミヤ書>となりますよね。
 なお、一人称が混在するので、これまでと同様ですが、主については「わたし」、エレミヤについては「私」と区別しています。



 想う/思うこと、願うことがいっぱいあって、ドキドキしている。これまでたくさん踏みつけられてきたのだもの、せめて生涯あの人と添い遂げさせてください。
 そのために自分がしなくてはならないことは幾らでもある。まずはキャリア・パスをしてあの人に安心してもらえるようにすること。
 そのためにも━━がんばるためにも、へこたれず前に進んでゆくためにも、あの人が寄せてくれる情愛が欲しい。
 いつもの飲み場でだけでなく、あの人のいない職場でそんなことを考えた。
年賀状用の小説をそろそろ書かないと。いろいろ考えて、……“あの日”の出来事を素描する掌編にした。モティーフとなるのは「上を向いて歩こう」。でも、1,300字メドでまとまってくれるのかな?◆

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