第1119日目 〈エレミヤ書第28章:〈ハナンヤとの対決〉with好きな相手が考えていることがわかれば、……&わたくしは、ボスの「ワーキング・オン・ア・ドリーム」を歌う。〉 [エレミヤ書]
エレミヤ書第28章です。
エレ28:1-17〈ハナンヤとの対決〉
前章の〈軛の預言〉がされた同じ年、つまり、ゼデキヤ王第4年の5月のことである。ギブオン出身の預言者、アズルの子ハナンヤが、主の神殿にてユダの民すべてとエレミヤに向かって、こういった。曰く、━━
わたしハナンヤはバビロン王の軛を打ち砕く。わたしハナンヤは、バビロンに奪われた神殿の祭具すべてを、今後2年のうちにこの場所へ持ち帰らせる。わたしハナンヤはヨヤキン王と、王といっしょに連れてゆかれたすべてのユダの民を、捕囚の地からこの場所へ帰らせる。わたしがバビロンの軛を打ち砕くからだ。
エレミヤは、やれやれ、と首を横に振って(かどうかは知らないが)、ハナンヤにいった。どうか主が君の言葉を実現してくれるよう祈るんだな、と。そうして、ハナンヤとユダのすべての民にいった。曰く、「平和を預言する者は、その言葉が成就するとき初めて、まことに主が遣わされた預言者であることがわかる」(エレ28:9)と。
それを聞いてハナンヤは、エレミヤの首にあった軛をはずして砕いた。そうして民に、わたしはこのようにしてバビロンの軛を打ち砕く、と叫んだ。エレミヤはその場を立ち去った。
主の言葉がエレミヤに臨んだ。曰く、
行ってハナンヤにいえ。お前は木の軛を砕いたが、代わりに鉄の軛を作って諸国の首にはめた。これにより、諸国はバビロンの王ネブカドネツァルに仕え、その奴隷となる。
エレミヤはハナンヤに主の言葉を伝え、さらに言い足した。曰く、お前は主により遣わされた預言者ではない、と。主はお前を地の面から追い払う、といった。主に逆らい、主を騙ったお前は今年中に死ぬ。エレミヤはそういった。果たしてその年の7月に、アズルの子ハナンヤは死んだ。
ハナンヤは新改訳ではハナヌヤ。偽りの預言者がバビロンの支配を短命なものと考え、周囲のユダの民に吹聴していたことは、おそらく多々あったと思います。エレミヤの預言が周囲から拒まれて、あまつさえ本人までが疎んじられて忌み嫌われる者となっていた状況を考えれば、ハナンヤのような人物が現れたとしてもふしぎではないでしょう。
が、斯くも堂々と登場し、エレミヤと対決(対立)するハナンヤはそうした意味で、エレミヤの預言━━ユダはバビロンに屈して70年を捕囚として過ごし、バビロンの崩壊に併せてふたたびユダの地に帰還する━━が正しかったことを立証する役割を与えられた存在として、稀有というべき人物であります。
とはいえ、わたくしはこの章を読んでいてハナンヤの野暮ったさ、地団駄を踏む様、軽率な行動ゆえに事態を悪化させる薄ら馬鹿ぶりに、なんともいえぬ愛着を感じていることを、失言を承知で申しあげておきたく思うのであります。
好きな相手が考えていることがわかれば、苦しむこともないのにね、という極めてプライヴェートでかつ普遍的な悩みから発展する今日のお話です。
「終わりよければすべて良し」、とは日常的に使う言葉であり、シェイクスピアの戯曲のタイトルでもある諺だが、うーん、それって本当なのかなぁ、と考えさせられることがしばしばある。
たとえば仕事が終わって退社する直前に「終わりよければすべて良し」といえる状況が生まれれば万事オール・ライトなのだろうけれど、その殻を突き破ってそれ以前に巣喰っていた負の感情が噴出したりすることってないのかな。
送迎バスのいちばん後ろの席に坐って、すっかり闇に閉ざされた外の世界を見せる窓に映りこんだ己の顔を見ながら、ふと、そんなことを考えた。今日一日のあれこれを思い出しながら、心のなかで七転八倒し。うれしかったけれど、辛かったなあ。最後にちょっとだけ話せたことが気持ちを上向きにさせたものの、相手がわからないだけにどんな小さな事柄さえ、ふだんなら気にも留めないような事柄もすべて彼女に結び付けて、疑心暗鬼に陥ってしまう自分がいる。大嫌いだ、こんなわたくしは。
でも、希望を捨て切れていないのがせめてもの救い。あの人が寄せてくれる愛情がどんなに小さくても、それだけがあればきっとなんとか生きていけるだろう。
いまは過去の人物となり果せた感のあるチャーミー・I氏の如く、ポジティヴであり続けることができれば救いといえようけれど、残念ながらそんな離れ業のできる人間など錚々いるわけではない。だからこそ、いつ如何なるときでもポジティヴであり続けられるよう、われらは自らを律して下を向いたりしないようにするのだが、ふとした拍子にすべてを疑い、表情や言葉の裏を探ろうと足掻いてしまう。まったく人間とは小さな生き物だ━━それとも、わたくしだけがマイノリティというべき存在なのだろうか?
好きな相手が考えていることがわかれば、苦しむこともないのにね、という極めてプライヴェートでかつ普遍的な悩みから発展した今日のお話でした。
わたくしは、ボスの「ワーキング・オン・ア・ドリーム」を歌う。なぜ? いまは遠いと思える<夢>のために力を尽くし、それを実現させようと諦めていないからだ。◆
エレ28:1-17〈ハナンヤとの対決〉
前章の〈軛の預言〉がされた同じ年、つまり、ゼデキヤ王第4年の5月のことである。ギブオン出身の預言者、アズルの子ハナンヤが、主の神殿にてユダの民すべてとエレミヤに向かって、こういった。曰く、━━
わたしハナンヤはバビロン王の軛を打ち砕く。わたしハナンヤは、バビロンに奪われた神殿の祭具すべてを、今後2年のうちにこの場所へ持ち帰らせる。わたしハナンヤはヨヤキン王と、王といっしょに連れてゆかれたすべてのユダの民を、捕囚の地からこの場所へ帰らせる。わたしがバビロンの軛を打ち砕くからだ。
エレミヤは、やれやれ、と首を横に振って(かどうかは知らないが)、ハナンヤにいった。どうか主が君の言葉を実現してくれるよう祈るんだな、と。そうして、ハナンヤとユダのすべての民にいった。曰く、「平和を預言する者は、その言葉が成就するとき初めて、まことに主が遣わされた預言者であることがわかる」(エレ28:9)と。
それを聞いてハナンヤは、エレミヤの首にあった軛をはずして砕いた。そうして民に、わたしはこのようにしてバビロンの軛を打ち砕く、と叫んだ。エレミヤはその場を立ち去った。
主の言葉がエレミヤに臨んだ。曰く、
行ってハナンヤにいえ。お前は木の軛を砕いたが、代わりに鉄の軛を作って諸国の首にはめた。これにより、諸国はバビロンの王ネブカドネツァルに仕え、その奴隷となる。
エレミヤはハナンヤに主の言葉を伝え、さらに言い足した。曰く、お前は主により遣わされた預言者ではない、と。主はお前を地の面から追い払う、といった。主に逆らい、主を騙ったお前は今年中に死ぬ。エレミヤはそういった。果たしてその年の7月に、アズルの子ハナンヤは死んだ。
ハナンヤは新改訳ではハナヌヤ。偽りの預言者がバビロンの支配を短命なものと考え、周囲のユダの民に吹聴していたことは、おそらく多々あったと思います。エレミヤの預言が周囲から拒まれて、あまつさえ本人までが疎んじられて忌み嫌われる者となっていた状況を考えれば、ハナンヤのような人物が現れたとしてもふしぎではないでしょう。
が、斯くも堂々と登場し、エレミヤと対決(対立)するハナンヤはそうした意味で、エレミヤの預言━━ユダはバビロンに屈して70年を捕囚として過ごし、バビロンの崩壊に併せてふたたびユダの地に帰還する━━が正しかったことを立証する役割を与えられた存在として、稀有というべき人物であります。
とはいえ、わたくしはこの章を読んでいてハナンヤの野暮ったさ、地団駄を踏む様、軽率な行動ゆえに事態を悪化させる薄ら馬鹿ぶりに、なんともいえぬ愛着を感じていることを、失言を承知で申しあげておきたく思うのであります。
好きな相手が考えていることがわかれば、苦しむこともないのにね、という極めてプライヴェートでかつ普遍的な悩みから発展する今日のお話です。
「終わりよければすべて良し」、とは日常的に使う言葉であり、シェイクスピアの戯曲のタイトルでもある諺だが、うーん、それって本当なのかなぁ、と考えさせられることがしばしばある。
たとえば仕事が終わって退社する直前に「終わりよければすべて良し」といえる状況が生まれれば万事オール・ライトなのだろうけれど、その殻を突き破ってそれ以前に巣喰っていた負の感情が噴出したりすることってないのかな。
送迎バスのいちばん後ろの席に坐って、すっかり闇に閉ざされた外の世界を見せる窓に映りこんだ己の顔を見ながら、ふと、そんなことを考えた。今日一日のあれこれを思い出しながら、心のなかで七転八倒し。うれしかったけれど、辛かったなあ。最後にちょっとだけ話せたことが気持ちを上向きにさせたものの、相手がわからないだけにどんな小さな事柄さえ、ふだんなら気にも留めないような事柄もすべて彼女に結び付けて、疑心暗鬼に陥ってしまう自分がいる。大嫌いだ、こんなわたくしは。
でも、希望を捨て切れていないのがせめてもの救い。あの人が寄せてくれる愛情がどんなに小さくても、それだけがあればきっとなんとか生きていけるだろう。
いまは過去の人物となり果せた感のあるチャーミー・I氏の如く、ポジティヴであり続けることができれば救いといえようけれど、残念ながらそんな離れ業のできる人間など錚々いるわけではない。だからこそ、いつ如何なるときでもポジティヴであり続けられるよう、われらは自らを律して下を向いたりしないようにするのだが、ふとした拍子にすべてを疑い、表情や言葉の裏を探ろうと足掻いてしまう。まったく人間とは小さな生き物だ━━それとも、わたくしだけがマイノリティというべき存在なのだろうか?
好きな相手が考えていることがわかれば、苦しむこともないのにね、という極めてプライヴェートでかつ普遍的な悩みから発展した今日のお話でした。
わたくしは、ボスの「ワーキング・オン・ア・ドリーム」を歌う。なぜ? いまは遠いと思える<夢>のために力を尽くし、それを実現させようと諦めていないからだ。◆
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