第1127日目 〈美しき〈カノン〉に身をまかせ、初冬の夜更けの孤独を託つ。〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 初夏の頃、ようやっとi-Pod touchを購入した。64Gもあるものだからワーグナーのオペラを全曲入れて聴いてみる、なんて酔狂なことを試みたりもした。
 現在は殆ど削除して、代わりによく聴いているのが、同じ時分にPCから移した<カラヤン名曲コンサート>(DG)とジョージ・ウィンストンのアルバムである。就中「パッヘルベルのカノン」は何度聴いたか知れず、トップ25の上位10曲のうちにカラヤンのものもウィンストンのものもランク・インしている、と書けば、どれだけの頻度で聴いているか、読者諸兄にもお察しいただけよう。
 さて。
 その連想が妥当かどうかはともかくとして、〈カノン〉とくれば〈パッヘルベル〉が思い浮かぶ。つまり、ヨハン・パッヘルベル作曲するところの〈3声のカノンとジーグ〉だ。前期バロック時代を代表する曲であると共に、完成度と知名度、いずれも高いという点で、クラシック音楽全体を見渡しても一頭地を抜いていることは、まず疑い得ようもない。
 そうした曲なるが故にこれまで数多くの録音が残され、市場へ出回ってきた。クラシック入門やウェディング、胎教目的のコンピレーション・アルバムには不可欠の存在で、以前は同曲異演を詰めこんだ『カノン100%』などのアルバムもあった。
 が、これほどの名曲。やはり良い演奏でじっくりと曲の、それこそ襞の一つに至るまで鑑賞してゆきたい。それが王道だろう。

 とはいえ〈カノン〉には、有名曲ならではの宿命がある。原曲のアレンジだ。オリジナルの楽器編成ばかりでなく、他の楽器への編曲によってこうした小品が今日まで忘れられずに伝えられてきた、そんな事実が確かにある。もっとも、パッヘルベルの〈カノンとジーグ〉が“発見”されたのは、たかだか100年ほど前、20世紀に入って間もなくとのことだが。
 編曲ということなら、吹奏楽をやっていた人の方が馴染みあるだろうけれど、正直を申せば、筆者は原則的に嫌いだ。なかで例外を設けてよいと思うている一つが、このパッヘルベルの〈カノンとジーグ〉なのである(もう一つは、というと、大バッハの《G線上のアリア》だ。これは《管弦楽組曲》第3番の第2楽章〈エア〉が原曲)。
 実際のところ、カタログを開いてみても、オリジナル編成で演奏される〈カノン〉は、思ったより少ない。さすがに輸入盤全体へ目を配ることはできないが、実情は大して変わらないのではないか。因みにいうておけば、パッヘルベルの〈カノンとジーグ〉のオリジナル編成は“3vn+bc”、即ち3丁のヴァイオリンと通奏低音(basso Continuo)である。

 ここまで書いてくれば、お前は普段どんな〈カノン〉を聴いていて、自分たちに薦めようとしているのか、なんて声が聞こえてきそうだ。
 ならば、と答えよう。まずは薦める演奏についてだが、特定の誰彼の演奏を挙げるつもりはない。結局はこの一言に集約されるからだ━━「懐具合で買えるCDを聴きこめ」
 いまやCDの値段はピンキリだ。非売品の自主制作盤もあれば、書店にて300円ぐらいで売っているCDもある。大型CDショップに行けば1000円を切るものから、ボックスに入ってそこでしか聴けないCDだってある。懐具合で、というのはそういうことだ。
 おまけに(最前の話ではないが)編成だっていろいろだ。好きな楽器、演奏家の一枚を、財布の中身と相談して買えばよい。ショップの元店員としてはそんな風にしかいえないし、そんな風にしかいう気もない。
 では、筆者がいつも聴く〈カノン〉はといえば、二種類ある。一つはモダン・オーケストラによる、もう一つはピアノ独奏による。既に予想は出来ていようけれど、――

 始めにピアノ独奏。こちらではジョージ・ウィンストンの演奏を推す。
 これぐらい曲へ無心に対峙し、あるがままに弾いた例を、他にあるのを知らない。なによりも一つ一つの響きが澄み渡っており、心のとても深いところまで落ちてくるのである。良い食材と同じで、余計な装飾を加えずとも名曲は名曲、素朴なものがいちばん美しく清浄で、心へ訴えてくるのだ、ということを、G.ウィンストンの演奏で初めて教えられた。かれこれ約20年ばかり前のことだ。
 そういえば、非クラシックのピアニストが弾く〈カノン〉の方に印象に残るものが多いような気がするのは、GW弾く〈カノン〉の刷り込み効果なのかもしれない、と、いまこの原稿浄書中に思い至った。こうなってくると、がちがちの音楽教育も善し悪しである。

 オーケストラではカラヤン=BPOの1983年録音の盤(DG)を聴いている。音楽学者や音楽家たちの研究などに基づくバロックらしさとは一線を画した、ひたすら優美で居住まいの凛とした演奏だ。
 バロック音楽を活動の礎にしている人たちの指揮ではカチッ、としてしまっていて、ずっと聴いていると窮屈さを覚える。
 〈カノン〉には美しさと清らかさを求めたい。そんな欲求を満たしてくれるのが筆者にとってはカラヤン=BPO盤なのだ。カラヤンの〈カノン〉は輪郭が曖昧模糊としているのだが、決して線が崩れたり重心を失っているのではない。流れるような美しさと澄みきった清浄さが調和した、優しい表情の演奏なのだ。
 これまで何百回となく聴いてきたカラヤンの〈カノンとジーグ〉、これだけでも冥土に持ってゆきたいとまで思うていると、この節の結びにいうておく。

 パッヘルベルの〈カノン(とジーグ)〉を聴くならば、G.ウィンストンとカラヤン=BPOというのが筆者の定番であり、永遠のマスターピースである。
 なお、「パッヘルベルの〈カノン〉」というた場合、続く〈ジーグ〉までは演奏されていないケースが目立つ。が、できれば、〈カノン〉のみではなく〈カノンとジーグ〉という本来のスタイルで聴いていただきたい。前述のカラヤン盤は〈ジーグ〉付き。

 ヨハン・パッヘルベルJohan Pachelbelは17世紀後半に活躍したドイツの作曲家。1653年09月01日受礼-1706年03月09日埋葬、いずれもドイツ・ニュルンベルクにて。
 大バッハ以前のドイツ最高の音楽家であり、彼の人の兄に教育を施した人物でもある。プロテスタント教会用に多くの典礼音楽を書き遺し、〈カノンとジーグ〉の他には《音楽の楽しみ》や《前奏のための8つのコラール》などが有名。昨今は数々の海外レーベルから単独の作品集がリリース、比較的簡単に作曲家の仕事の精髄に触れられるようになった。ナクソス・ミュージック・ライヴラリー(NML http://ml.naxos.jp)ではパッヘルベルの作品を、オルガン曲や組曲など幾つも試聴することが出来る。お聴きいただきたい。なお、長男ヴィルヘルム・ヒエローニムスも著名な作曲家であった。◆

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