第1140日目 〈今年読んだ小説;樋口有介『ピース』、真梨幸子『殺人鬼フジコの衝動』、村上春樹『1Q84』他。〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 本ブログの内容ゆえ、先日報道されたパレスティナが国家として承認された絡みの話なんて出来ればよいのだが。しかし、調べてゆくにつれて一朝一夕でわたくしの手におえるエッセイの書けようはずがあろうか、と早々に断念、尻尾を巻いて遁走することにしたけれど、これは、いずれ遅かれ早かれ、かつて某SNSにて毎週火曜日にお披露目していたようなコラム仕立てのエッセイを物してお披露目してみたい、と願っている話題である。
 というわけで、再開後は徒然なるまま、行き当たりばったりで書き綴ってきた<ウォーキング・トーク、シッティング・トーク>の、いちおう最終日とした今日は、空白の一年に読んだ本、というか、小説を思い着くままに列記し、うち何冊かについて一言二言のコメントを付けてゆこう。
 まず。年末年始にかけて読んでいたのは、最近再び活気附いてきた感のある現代日本のミステリで、何冊か読み散らしたなかでは樋口有介の『ピース』(中公文庫)と真梨幸子の『殺人鬼フジコの衝動』(徳間文庫)が面白かった。
 前者は、書店の平台に置かれた、他を圧するようなサイズの大判ポップに目を惹かれて、ようやっとそれに気附き、遅蒔きながら手にした次第なのだけれど、最初はよくある地方都市で起こった殺人事件のお話しかと思いきや、実は事件の根っこにもっと無神経で残酷な、或る出来事が横たわっていたこと(<犯罪史上、最も凶悪なピース!>)に気付かされて、そうした意味ではむかしから推理小説が好んできた(=近頃は敬遠されがちな)因果応報譚というて差し支えないだろうが、淡々と、着実に包囲網を狭めていって、気が付いたら真犯人を、真相を真綿で包みこんでしまっているような、無慈悲な描写とじわじわ立ちのぼってくる人間の業の深さ、愚かさに慄然とさせられ、読んでいて正直なところ、真っ昼間であってなお身震いさせられたものである。これに味を占めて、同じ作者の別の作品に手を伸ばしてみたが、これに優る小説とはお目に掛かれなかった。この一冊でブレイクした感があるけれど、これを凌駕する作品を何年後かに読めれば一読者たるわたくしは幸せだ、と思うている。
 或る意味に於いて『ピース』に優って読書界の話題関心をさらったのが、『殺人鬼フジコの衝動』であった。些細な日常風景を切り取って一滴二滴の強烈な毒を振りかけて、読者の眉根を顰めさせる技について、作者以上に腕の立つ作家は、たぶんこの国にはいないのではないか。このさり気なくも嫌味ったらしい、殆ど悪意とも思える出来事の数々、それを支える密度の濃い描写に感化されて、<イヤミス>なる新しい推理小説のジャンルを問答無用で確立させてしまった作者の腕は、空恐ろしい程である。絶対に傍にいてほしくない人物、絶対にかかわりたくない人物を書かせて、この人の右に出る作家がもし出てきたら、もうこの世は末ですよ。『ピース』はそのあと三度ばかり読み返したけれど、『殺人鬼フジコの衝動』は読み返すことなく、でも強烈かつ鮮烈な印象を残して、段ボールのなかに放りこんだままで、年度末に出た書き下ろし短編をシュリンクした限定版が出ても、触手を動かすに至らなかった。でも、それも先達て発売された続編、『インタビュー・イン・セル 殺人鬼フジコの真実』はさほど日を経ずして購入したのだから、フジコ・バンデミック、恐るべし、というたところか。こちらはまだぺらぺらとしかページを繰っていないので発言は控えるが、前作を上回る不快感と愉悦を期待している。
 他に読んだものは、というてもあと数行しかないのだが、村上春樹の『1Q84』(新潮社/新潮文庫)が文庫化されたのを機に改めて読み直した。わたくしのようにむかしから読んではいてもそれ程真剣ではない村上ファンには、いつもの村上マジックが炸裂しているにもかかわらず、エンターテインメント性も十分に発揮された、読みやすくわかりやすい、ここ数年の作物でも屈指の良品と思うた。解明されていない謎、明らかにされていない出来事が幾つもあるのは、もはや村上作品ではお馴染みであるし、これは裏返していえば、とても海外小説的である。語られるべき部分と語られない部分が薄明の如く模糊として溶けこんでいる小説を、考えてみれば村上春樹は好んで読んで来、また、ときには翻訳の労を取ったのではなかったか。それを考えれば、この小説を読んで<放ったらかし感>を味わった読者には――或いは、なんにでも解決を求めなくては気が済まない、すべてが整って提示されなければ何一つ気に入らない、という類の『1Q84』の読者には、却って本書こそが、そういった海外の小説に馴染む契機になるのかもしれない、とつらつら考えたことがあるのも事実である。……数行といったに関わらず、なんだか大幅に超過してしまったな。
 他に読んで印象に残った小説を、作者とタイトル、出版社だけ挙げれば、デイヴィッド・ロブレスキー『エドガー・ソーテル物語』(NHK出版)、『エドワード・ゴーリーが愛する12の怪談』(河出文庫)、鷲宮だいじん『合コンに行ったらとんでもないことが起こりました』(メディアワークス文庫)、山本弘『詩羽のいる街』(角川文庫)、水島忍『湖上の公爵に攫われて』(シフォン文庫)、越谷オサム『陽だまりの彼女』(新潮文庫)、岡崎琢磨『喫茶タレーランの事件簿』(宝島社文庫)、P.G.ウッドハウス『ジーブスとねこさらい』(国書刊行会)、H.R.ウェイクフィールド『ゴースト・ハント』(創元推理文庫)、東雅夫・編『世界幻想文学大全1/幻想文学入門』と『世界幻想文学大全2/怪奇小説精華』(ちくま文庫)、大森望『新編・SF翻訳講座』(河出文庫)である。順番に意味はない。小説でないものも、二冊程混じった。それにしても海外については思い切り偏っているな。
 笹本祐一の『妖精作戦』シリーズや庄司薫の『赤ずきんちゃん』四部作など、他にもあったけれど、上記に較べて圧倒的に影が薄いのは、わたくしの偏食に原因があるのであって、意図したところではない。また、ここで有川浩の『図書館戦争』シリーズと竹宮ゆゆこの『ゴールデン・タイム』シリーズを除外した理由は、特にないのだが、後日改めて書こうかな、と思うているのと、いつも課している紙幅が尽きて超過しているからに他ならない。
 明日から、聖書読書ノート、再開。まずは「エレミヤ書・再開前夜」と題して……。◆

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