第1144日目 〈エレミヤ書第32章1/2:〈エレミヤの拘留〉&〈アナトトの畑を買う〉withゲルギエフ=サンクトペテルブルク・キーロフ管弦楽団/プロコフィエフ;バレエ音楽《ロミオとジュリエット》を聴いています。〉 [エレミヤ書]

 エレミヤ書第32章1/2です。

 エレ32:1-5〈エレミヤの拘留〉
 ユダの王ゼデキヤの御代第十年、バビロンの王ネブカドネツァルの治世第十八年のことである。当時、王都エルサレムはバビロニア軍に包囲されて、敗北の時を目前にしていた。その頃、預言者エレミヤは王宮の獄舎に拘留されていた。主の言葉を告げるかれは危険視されていたのだ。
 エレミヤが拘留される原因となった主なる神の言葉はこうである。即ち、――
 王都エルサレムはバビロン王の軍隊によって陥落し、ゼデキヤ王はカルデア人の手から逃れることは出来ない。王は敵の手に渡され、尋問され、連行される。主がゼデキヤを顧みない限り、かれはカルデア人の国で一生を捕虜として過ごすだろう。
 「お前たちはカルデア人と戦っても、決して勝つことはできない。」(エレ32:5)

 エレ32:6-15〈アナトトの畑を買う〉
 獄舎のエレミヤに主の言葉が臨んだ。曰く、やがてあなたの許を近親者が訪れて、こういうだろう、故郷アナトトにある畑を買ってほしい、あなたにはその権利があるのだから、と。
 エレミヤの伯父シャルムの子ハナムエルが獄舎に来た。そうしてエレミヤに、一族の故郷アナトトにある畑を買ってほしい、あなたには近親者としてその土地を買い取る権利があるのですから、といった。勿論、エレミヤは既にそれを主から臨んだ言葉で知っていた。だから、畑を購入することにした。
 エレミヤはアナトトにある畑を銀十七シェケルで購入した。慣習通りに証書を作成して自分と証人たちが署名後にそれを封印、また写しを作ってそちらは封印しなかった。そうしてその二通を、マナセの孫にしてネリヤの子バルクへ手渡した。それはいとこのハナムエルと獄舎にいたユダの人々全員が見ている前で行われた。続けてエレミヤはバルクにこういった、――
 「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。これらの証書、すなわち、封印した購入証書と、その写しを取り、素焼きの器に納めて長く保存せよ。イスラエルの神、万軍の主が、『この国で家、畑、ぶどう畑を再び買い取るときが来る』と言われるからだ。」(エレ32:14-15)

 滅びて連れ去られても、かならずわたしはあなたたちをこの国へ、この土地へ連れ戻す。再三に渡って主はそう伝えてきました。アナトトの畑が購入され証書が保存される、というのは、その具体的なアクションというてよいでしょう。ここに一縷の希望を見るのは、わたくしだけではないはずです。ここにあるのは、帰還と再生の約束です。
 ユダは滅亡し、エルサレムは陥落した。辛うじて生き残った民は捕囚となって連行された。「こうして主がエレミヤの口を通して告げられた言葉が実現し、この地はついに安息を取り戻した。その荒廃の全期間を通じて地は安息を得、七十年の年月が満ちた。」(代下36:21)



 ゲルギエフ=サンクトペテルブルク・キーロフ管弦楽団によるプロコフィエフのバレエ音楽《ロミオとジュリエット》(PHILIPS)を聴いています。懐かしいな、二年ぶりぐらいか。いまでも吉田都たちが踊る英国ロイヤルバレエ団の映像が、さすがに切れがちだけれど記憶の片隅で綺麗に残っている。あの映画を観るにあたって予習用に買いこんで、何度ゲルギエフたちの演奏に耳を傾けたんだっけかな。
 かれらの演奏がどの程度のものなのか、同曲異演のなかでどれだけの評価を得ているものなのか、販売とレヴューの第一線から疾うに退いたわたくしにはわかりませんが、余計な装飾を加えず、過剰な演出も悪辣な作為もなしに自然体で奏でられた、とても好ましい演奏と感じ、これはずっと持っていよう、と心に決め、今日に至るまでCDの大処分から逃れさせてきた代物であります。
 これをきっかけにして本格的にバレエ音楽の面白さに開眼し、また、ゲルギエフをもうちょっときちんと聴いてみようか、という気にさせられ、留めにプロコフィエフの作品を交響曲とオペラ以外も様々聴いてみようかな、と思うに至らせた一枚としても、本CDはわたくしにとって大切な音盤であります。いつの日か、別名義で持っている音盤専門のブログにこれを取り挙げられればいいな、と考えて(企んで?)います。◆

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