第1218日目 〈エゼキエル書第10章:〈主の栄光が神殿を去る〉1/2with真実。〉 [エゼキエル書]

 エゼキエル書第10章です。

 エゼ10:1-22〈主の栄光が神殿を去る〉1/2
 戻ってきた亜麻布姿の男に、主が命じた。ケルビムの下で回転するものの間に入り、そこにあって燃える炭火で両手を満たし、エルサレムの上に撒き散らせ、と。男はそうした。また、ケルビムの一人から渡された火を手に、男は出ていった。
 主の栄光がケルビムから立ちあがり、神殿の敷居へ向かった。神殿は雲で満たされた。庭は主の栄光の輝きで満たされた。ケルビムの翼の羽ばたく音が外庭まで聞こえた。その音はまるで全能の神の声のようだった。
 主の栄光は神殿の敷居の上を離れて、ケルビムの上に漂い来たって留まった。ケルビムは出てゆくとき、わたくしの目の前で地から上ってゆき、神殿の東の門の入り口で止まった。

 本文の流れをよくするために半分程割愛して、ダイジェスト/ノートしております。しかしそれはあくまで「流れ」のための割愛であり、内容的に不要とか冗長とか、そうした理由によるものではないこと、ご理解いただければ幸いです。参考までに割愛部分を申しあげておくと、エゼ10:8-17,エゼキエルがかつてケバル河で会ったケルビムと主の栄光の顕現の描写が該当します。お手隙のときなどにご確認ください。
 小見出し通り、それまで神殿にあった主の霊/栄光が神殿を、即ちエルサレムを去る(あとにする)。もはや都はもぬけの殻となった。いまはもうただの変哲もない町でしかなく、迫るバビロニア軍から生き延びる方法はすべて失われた、ということである。戦力で遥かに劣勢を強いられるばかりか、形骸化していたとはいえ精神的支柱までなくしてしまったエルサレム/ユダを守護するものは、もうなにもない。陥落を約束された瞬間を捕らえた一章、と捉えてよろしいでしょう。



 愛するものは浚いとられる。
 想う相手には想われない。
 これこそ真実といわずして、他になにを真実というのか?◆

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