第1220日目 〈エゼキエル書第12章:〈捕囚のしるし〉with永遠に続く絶望とは。〉 [エゼキエル書]

 エゼキエル書第12章です。

 エゼ12:1-28〈捕囚のしるし〉
 人の子よ、と主が語りかける。主の言葉が臨んだ。曰く、――
 イスラエルの家のなかにいるあなたは、白昼かれらの目の前で自分の荷物を捕囚の荷物とし、囚われの地へ行きなさい。かれらはその様子に目を留めるかもしれない。また、夕方かれらの目の前で壁に穴を穿ち、荷物を肩に担いで、夕闇迫る外へ出てゆきなさい。かれらを見ぬよう顔を覆って、出てゆきなさい。主はいった、わたしはあなたをイスラエルの家に対するしるしとする、と。
 わたくしは主がいった通りにした。すると、再た主の言葉が臨んだ。曰く、――
 いったいお前はなにをしているのか、と、反逆の家のかれらは訊いたであろう。こう答えなさい、これが未だユダの地、エルサレムの都に残る人々の行く末である、と。かれらはこのようにして捕囚となり、捕囚の地を踏む。かれらの首長も同じく捕囚となるが、かれはここに到着する前に死ぬ。
 わたしは追っ手となり、逃げ惑うイスラエルを抜き身の剣をかざして追う。わたしはかれらを諸国のなかへ散らす。「しかし、わたしは彼らの中から少数の人々を残し、剣と飢えと疫病から守る。彼らが自分たちの行った忌まわしいすべてのことを、行く先々の国の中で語り聞かせるためである。そのとき、彼らはわたしが主であることを知るようになる。」(エゼ12:16)
 エルサレムの住民はかつて自分たちの口を潤していたものを荒れ廃れた土地のなかで失い、かれらの生きている時代にわたしの語る計画、わたしの見せる幻は実行される。
 「わたしが告げるすべての言葉は、もはや引き延ばされず、実現される、と主なる神は言われる。」(エゼ12:28)

 新たに捕囚が生まれる、という報せです。エルサレムは更なる被害を被り、それゆえに捕囚(難民)が生まれ、遠近に散ることになる、という報せであります。バビロニアの進撃が開始され、エルサレムが陥落することが暗に語られる章であります。
 また。かれら即ちエルサレム住民の首長が云々、とあります。これをユダの王とすることは明らかで、第3次捕囚に於いてゼデキヤ王が捕縛されるので、ほぼかれのことと考えてよいのでしょう。が、ゼデキヤは取り敢えず生きたままバビロンへ来た。「死ぬ」とはあくまで預言であり決定に非ず、というところなのでしょう。



 永遠に続く絶望。
 永遠に続く絶望。
 わたくしはその意味を知っている。◆

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