第1251日目 〈エゼキエル書第36章:〈イスラエルの山々に向かって〉withミステイク?〉 [エゼキエル書]

 エゼキエル書第36章です。

 エゼ36:1-38〈イスラエルの山々に向かって〉
 イスラエルの山々へ預言して語れ、と、主の言葉。
 敵たる諸外国がお前を蔑み、噂している。イスラエルの家が嗣業として与えられたお前の上で数々の過ちを犯したからだ。かれら即ちイスラエルの家はわたしの前で、お前の上で、無用の血を流し、偶像を崇めた。それにより、わたしはかれらの上へ憤りを注ぐに留まらず、諸外国へ追い散らしたのである。諸国民はそんなイスラエルの家を見て、かれらは犯した罪ゆえに自分たちの土地から追い払われてきたのだ、という。
 以てわたしは斯く語る。イスラエルの山々へ、熱情を傾けて斯く語る。わたしは誓う、「必ず、お前の周囲の国々は恥を負う。しかし、お前たちイスラエルの山々よ、お前たちは枝を出し、わが民イスラエルのために実を結ぶ。彼らが戻って来るのは間近だ」(エゼ36:7-8)と。――お前を所有するのはかれらであり、かれらはお前の嗣業となる。お前はかれらを、かれらの子らを、二度と失うことはない。周囲の恥辱や侮蔑の声がかれらの耳へ入ることもなくなり、また、それゆえにかれらが躓くこともなくなる。
 「イスラエルの家よ、わたしはお前たちのためではなく、お前たちが行った先の国々で汚したわが聖なる名のために行う。わたしは、お前たちが国々で汚したため、彼らの間で汚されたわが大いなる名を聖なるものとする。わたしが彼らの目の前で、お前たちを通して聖なるものとされるとき、諸国民は、わたしが主であることを知るようになる。」(エゼ36:22-23)
 わたしはイスラエルの家を集め、お前たちの土地へ導き入れる。わたしはお前の上に清い水を振りかける。そうしてお前の罪は浄化される。わたしはお前たちから石の心を取り除き、肉の心を与える。わたしの霊をお前たちのなかへ入れて、わが掟に従って歩ませわが裁きを守り行わせようとする。すべての汚れからお前を救う。もう決して饑餓に遭うことはなく、諸国から辱められたり嘲られることもない。
 斯くしてお前たちはわたしの民となり、わたしはお前たちの神となる。
 「そのとき、お前たちは自分の悪い歩み、善くない行いを思い起こし、罪と忌まわしいことのゆえに、自分自身を嫌悪する。(中略)自分の歩みを恥ずかしく思え。」(エゼ36:31-32)

 「わたしは再びイスラエルの家の願いを受け入れ、彼らのために行う。」(エゼ36:37)

〈浄化〉という単語がこの文脈、この文意に相応しいのか、と、未だ迷っています……。
 イスラエルの山々(大地)への慰めが語られる。かつてその地に住まった民はいろいろ悪さをしでかして罪を負うたけれど、捕囚の地、逃れの地から集まり来たったかれらはわが嗣業の民として生き直す。かれらに回復を約束したように、山々へも回復が約束される。
 語りの対象が変化するせいで混乱しがちだけれど、実は前半と後半が密接にリンクした一章であります。

 言い訳めくけれど、ちょっと一言させてください。足掛け3日を掛けて読んだ第36章であります。が、まったく集中できなかった第36章でもある。なぜ? 汝、訊ねるなかれ。我、語るなかれ。真実は闇のなかに眠る。世の中には知らない方が良いこともあるのだ。ちゃらけていえば、〈太陽のせい〉、〈シャンパンのせい〉、〈春の陽気/妖気のせい〉、か。
 このノートがいまの自分にできる精一杯。折を見て改稿を、と望めども、そんな機会はもうないのだろうな、と諦めている。なべて斯くなるより他ないのだ、ドリス・デイの歌のタイトルのように。〈ケ・セラ・セラ〉。で、まあ、ときどき〈アズ・タイム・ゴーズ・バイ〉なんて気取ってみたりして? ……〈〉のなかをわかる人、どれだけいるのかな。



 ここにいるはずのない人がなぜここにいるのか?◆

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