第1269日目 〈手紙〉 [日々の思い・独り言]

 呆れた顔で同居人が書棚を眺めている。そこにはこれまでの歳月で書き溜めた、おそらくいちばん私的な作品――つまり、手紙を収めたファイルが並んでいる。ずらり、40冊以上も。長い歳月の果てに積もった成果とはいえ、よくもまあ、これだけ飽きずに字を綴ってきたものだ、と感心する。
 そもそもわたくしが手紙の下書きやコピーを手許へ残し、ファイリングするようになったのは、高校生の頃、心酔していたアメリカの作家、H.P.ラヴクラフトの影響に拠るところが大きい。20世紀初頭を生きた彼は、古今に稀有のレター・ライターであった――否、もっとはっきり言うなら、常識を遙かに超越する手紙魔だった。
 或る研究者は、その手紙がすべて残されていれば10万通以上となり、まとめれば単行本50冊以上の分量になろう、と言っている。もとより著作の中では書簡がいちばんお気に入りだったわたくしは、その記事に理由もなく触発され、単純な性分だから殆ど毎日手紙を認めることとなり、結果、それが文章の良き手習いとなった。
 英米の怪奇小説を訳しては名匠と謳われ、小泉八雲研究の第一人者であった平井呈一は、エッセイのなかで「文学を志す者にとって翻訳が文学修行の一つになっていた時代があった」と述べているが、わたくしにとっては翻訳でなく、手紙を書くことが文章を鍛錬する学びの場であり、文学の道にあっては素地となった。文章のがさつな本に出会うと読む気が萎えるのは、こんな修行の賜物であろう。
 そんなことだから手紙についてのエッセイや本を見かけると、喜んで飛びつき、貪るように読んだ。個人全集にかならず一巻が割かれた書簡集を図書館で漁ってきては読む日々もあった。怪談本の蒐集と併せてこの道楽は、たぶん、不治の病に等しいから天罰にあってなお完治は難しいかも。
 話を戻して……ファイルを繙くたび思うのは、実に多くの手紙を書いてきた、という事実。ほんの数行ばかしのものもあり、レポート用紙(手紙の下書きにはレポート用紙を使っていたのだ)10数枚に及ぶものもある。若い頃に受け取って将来を決めた手紙のあることも忘れられない。恋文や絶交状から随筆、小論めいたものまで、内容は多種彩々、このまま世人へ向けた<お手紙講座>の見本となるだろうことは間違い無し。もし人がわたくしについて知りたくば、関係者へのインタヴューなどまずは無用だ。――ただ手紙と創作を以てすべてを語らしめよ。
 最近は切手を貼ってポストに投函する、かつては当たり前だった習慣を失くしつつある。メールが普及して便利になったのは良いが、書いたらすぐに送れてしまうお手軽さには、なんだか虚しさを感じるのだ。
 手紙の愉しみは文面にばかりあるのではない。季節の便箋を選んだり、相手の住所を封筒に書くときの快い緊張感、それを見た目よく書けたときの満足感、郵便局で切手を購いポストへ入れたときの、すとん、という音。また逆に、そうした手紙をもらったときの嬉しさ……文面からほのかにかよってくる暖かさに、ふしぎと心がときめいてしまう経験は、そういえば、ちかごろは味わっていない。
 あの儀式めいた一連の作業がときどき無性に懐かしくなると、街まで出掛けて文房具店を覗き、便箋と封筒の棚の前でうろうろし、手に取っては矯めつ眇めつしてやっと一つを選んだりするのだが、結局は使っていなかったりする。
 手紙を書くという行為は日々の記録でもある。一瞬にして過去となる現在を封じこめ、ささやかな証言として次の時代へ伝えてゆくに、手紙ほどその役割を担って相応しいものは他にない。根っからの手紙魔を自覚するわたくしは、いつかは廃れてしまいそうな手紙文化の効用を、そんなふうに考えている。
 ――こんなことを書いていたら、誰かに一草、差し出したくなってたまらなくなった。そろそろ筆を擱いて、古い友人へ手紙を認めようか……。◆

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