第1270日目 〈「ダニエル書」前夜〉 [ダニエル書]

 ダニエルは第1回バビロン捕囚のとき、バビロンへ連行されてきたユダヤ人の一人です。当時はまだ少年であった、と推測されます。捕囚として連行されてきたバビロニアでかれはその優秀さ、明晰ぶりを買われて宮廷に仕え、帝国滅びて後もメディア王国、アケメネス朝ペルシア帝国の官僚として活動しました。第6,9章に名の出るメディア人ダレイオスは、キュロス2世の血統から王位を簒奪したダレイオス1世である、といいます。記述に齟齬がでるのは承知で、本ブログもそれにいちおう従おうと思います。これについては、第6章で改めて取り挙げるつもりです。
 ダニエルは旧約聖書の各書物に固有名詞を冠せられた人物のなかでも長命が確認できる人の一人。お気附きの方もあるかもしれませんが、ダニエルはエレミヤ、エゼキエル、エズラ、ネヘミヤ、エステルたちと重なる時代を生き、エレミヤを除く4人とはとても近しい地域(場所)で生きていた人物であります。
 「ダニエル書」はかれが示した数々の夢や不思議の解読と殉教、かれが見た幻について語られる。われらが読んできた預言書の主人公、即ちイザヤ、エレミヤ、エゼキエルのような預言者とは同列に扱い難いダニエル。というのも、全12章より成る本書を通読してみても、かれが前の3人のような預言者としての活動も言行も認められないからであります。通読程度ながら「ダニエル書」を読み終えたいま、顧みて考えれば、幻視者という表現も間違っているように思います。夢占い師の側面を持った賢者、とも考えましたが、どこまで実像に迫れているか、心許ない限りであります。「聖なる神の霊を宿している」、「特別な霊の力があって、知識と才能に富み、夢の解釈、謎解き、難問の説明などがよくできる人」(ダニ5:11,12)というベルシャツァル王妃の台詞をそのまま引用するのが、いちばん無難なようであります。
 「ダニエル書」は2つのパートに分けられます。第1部が第1-6章、第2部が第7-12章であります。まず、バビロニア王ネブカドネツァルの見た夢の解釈とベルシャツァル王の御前にて壁に書かれた文字の解釈と解読が語られ(第2,4,5章)、メディア人ダレイオスの御代に官僚の奸計によって獅子の洞窟へ投獄されたダニエルが如何にして生還し得たか(第6章)、また、ダニエルと共にバビロニアへ任官した3人のユダヤ人が火焔の燃え盛る炉から如何にして生還し得たか(第3章)、を語る前半が第1部。後半はかれが仕えた諸王の御代に見た幻とイスラエルが罪から真に回復する期間、その終焉について語られる。ここはいわば黙示文学に属し、ちょっと先走って申しあげてしまうと、4つの世界帝国(バビロニア、メディア、ペルシア、ギリシア)の支配のあとに神の国による永遠統治の時代が訪れる、という啓示が塗りこめられております。
 なお、第12章にはセレコウス朝シリアの王アンティオコス4世エピファネスによる、エルサレムのヘレニズム化とユダヤ人弾圧をきっかけとするマカバイ戦争の勃発が暗に語られております。マカバイ戦争については旧約聖書続編「マカバイ記」2巻で述べられています。本ブログもそこへ辿り着いたときにこの戦争のことを考えてみたいと思います。
 本書の成立年代については、わたくしが四の五のいうよりも、お馴染みジークフリート・ヘルマンの言をそっくり引いた方が話は早い。曰く、――
 「(『ダニエル書』は)アンティオコス4世が支配する時の事件に近づくにつれ、記述はいっそう具体的となる。それゆえ、この書の年代は比較的正確に言うことができる。著者は前167年に、エルサレム神殿にギリシアの祭儀が導入されたことを知っている。そのときゼウス・オリュンポスのための祭壇が築かれた。しかし彼はアンティオコスの死(前164年)について何も知っていない。
 それゆえ、ダニエル書は早ければ前2世紀の60年代の半ばに、おそらく168年と164年の間に成立したと考えられる。もちろん後代の加筆なり補充なりがある。個々の物語と年代記載の由来は、場合によってはもっと古く、あるいは古い前例にならっていることがあろう。これは特に、ペルシア時代に伝承が遡りうる1-6章についてあてはまる。だがこれ以上確実なことは何も言えない。」(『聖書ガイドブック』P143 泉治典・訳 教文館)
 ――では、明日から「ダニエル書」を読んでゆきましょう。◆

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