第1276日目 〈ダニエル書第6章:〈獅子の洞窟に投げ込まれたダニエル〉withLFJAJ開幕&予定変更の報告〉 [ダニエル書]

 ダニエル書第6章です。

 ダニ6:1-29〈獅子の洞窟に投げ込まれたダニエル〉
 バビロニアに代わってメディア・ペルシアが立った。ダレイオスは62才で即位した。王は全国を120四の行政区に分け(ex;エス1:1)、それぞれに総督を置いた。また、政務を円滑にするため、総督の上に3人の大臣を置いた。ダニエルはその内で最も有能であった。ダレイオス王はかれに王国全体を治めさせよう、と考えた。それもあって、ダニエルは他人の妬みを買うことになる。
 官僚たちはダニエルを陥れようと粗探しをしたが、無駄だった。政務に関してかれは非の打ち所がなかったからである。そこで官僚たちは相談して、一つの結論を出した。ダニエルを陥れるためには、もはやかれの信じる神の法について言い掛かりをつける他ない。
 王の御前で官僚たちはいった。向こう30日間、陛下以外の人間やメディアの神以外の神を信じたり、祈ったり願ったりした者は、ただちに獅子のいる洞窟へ投げこまれる、という禁令を勅令として出していただこう、ということになりました。どうぞ書面に署名いただき、王国内へ公布してください。そうすればその定め事は、メディア・ペルシアの、変更も廃止も不可能な法律として機能するようになります。――王は承諾してこれに署名した。
 このような勅令が出されたのをダニエルは知っていたが、かれは日に3度の祈りと讃美をユダヤの神にささげた。ダニエルの家に来てそれを見届けた官僚たちは、ダレイオス王へ報告して、獅子のいる洞窟へかのユダヤ人を投げこむよう迫った。
 王は苦悩した。ダニエルを救う手立てを様々思案した。というのも、王はこのメディア・ペルシアをダニエルに治めさせよう、と望むぐらい、かれを評価し、信頼していたからである。が、どう思案してもダニエルを救う手立ては見附からなかった。定められた法に則ってダニエルは獅子のいる洞窟へ投げこまれた。その前にダレイオスはダニエルにいっった、あなたの信じる神があなたを守ってくれるように、と。
 その晩、王は一睡もできなかった。朝になるや、王は件の洞窟へ行き、不安げな声で呼ばわった。ダニエル、ダニエル、生きているか、神はあなたを守ったか。すると、暗闇のなかから返事があった。はい王様、神はわたしを守ってくださいました、天使を送って獅子の口を閉ざしてくださったのです、わたしは無傷です、わたしの無実と王様に二心のないことが召命されました。
 ダレイオス王は随喜してダニエルを洞窟から出させた。代わってダニエルを陥れようと画策した官僚たちを、その家族諸共洞窟へ投げこませた。かれらはたちまち獅子に喰われた。
 ――ダレイオス王は全地の諸国、諸族、諸言語の人々へ書き送った。曰く、わがメディア・ペルシア領内に在っては何人もダニエルが信奉する神を畏れ、かれらユダヤ人の信仰に敬意を表すように、と。その主権は不滅、その支配は永遠、その神は救い主、天地にわたって不思議な御業を示す。
 ダニエルはこのダレイオス王とキュロス王の元年まで仕えた。

 昨日の芸術つながりで言い添えますと、ダニエル投獄の場面を描いた有名な画家にルーベンスがいます。岩波14「ダニエル書」に図版が載る他、少し大きなルーベンス画集でもこの作品は見ることができると思います。
 さて。
 本章に於いてダニエルに信を置き、親身に接するダレイオス王とは誰でしょうか。メディアにこの名を持つ王はなく、ペルシアに於いては捕囚解放を行ったキュロス2世の後にダレイオス1世が登場します。
 岩波14「ダニエル書」脚注では、本文書(ダニエル書)は史実に関しては正確さを欠く、と前置きした上で、「その治世下にバビロン捕囚からの解放が行われたペルシア王ダレイオス一世のこととは考えられないが、ここでは彼のイメージが重ねられているのだろう。実際にはペルシア滅亡はバビロニア滅亡に先立つが、ここでは順序が逆であり、ヘレニズム期ユダヤ人に流布した通説に従っている」(P25)と述べています。
 メディア王国の滅亡は前550年、新バビロニア帝国の滅亡は前539年のことであります。オリエントの覇権がペルシアに移り、キュロス2世が即位した元年に捕囚は解放されました。それは前538年のことです。ダレイオス1世の治世は前521-486年。いずれにせよ、計算は合いませんし、史実との齟齬が見られます。
 しかし、それでもここにダレイオスが登場する必然的な理由が、「ダニエル書」編纂当時はあったはずであります。この点は聖書学者や教会の人たちに訊ねてみたいものであります。けれども、わたくし共のような非キリスト者がこれについて考えてみるのも、悪いものではありませんし、また、とても面白いと思います。



 シューベルト《ミサ曲》第6番を聴きながら、ヘミングウェイ『移動祝祭日』を読み返す。世間はGW後半戦に突入、有楽町の東京国際フォーラムではLFJAJが開幕した。
 それはさておき。
 この度、さんさんかは重大な事実を思い出してしまったのである。それゆえに、旧約聖書の終了後も、そのまま、呑気に休み呆けるわけに行かなくなったのだ……! そう、本ブログは――「創世記」を欠き、「出エジプト記」は前半部分が欠落している。
 そも本ブログは、だんだん煩雑になってきた祭儀や服装、規定などのメモ代わりに始めた、という経緯(いきさつ)があった。その後は過去を振り返ることも、一旦停まって始めに戻ることもせず、ひたすら前に進むが使命とばかりに各書物を消化してきた。それが裏目に出たわけである。
 従って、初夏に「マラキ書」が終了(予定)次第、本ブログはそのまま「創世記」と「出エジプト記」前半へ戻って旧約聖書を完了させることになる。その後は予告通り、小企画〈特集;9.11〉と長編小説の連載を挟み、旧約聖書続編へ、新約聖書へ雪崩れ込むことに、大きな変更はない。
 予定変更になるのは事実なので、この場を借りてご報告させていただきます。けっして今日のエッセイが書けず七転八倒した挙げ句、このような急場凌ぎを思い付いたわけではございません……よ?◆

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