第1278日目 〈追憶の果てに、「憧れ」という名の記憶は眠る;ワーグナー《ジークフリ-ト牧歌》〉 [ウォーキング・トーク、シッティング・トーク]

 縁なき女性と結ばれることを望み、家庭のあたたかさを得んとして果たせぬ男がいる。信仰にも似た願いは破れ、ベートーヴェンやブラームスの生涯や芸術に己を重ね合わせてどうにか心を保ち、明日へ向かって生きてゆこうとする彼が、うすぼんやりと思い描く安らぎの未来への憧れ――。
 ワーグナーの筆からぽろりとこぼれ落ちた一雫の清水のような作品は、そんな若者の夢想を音化した旋律に満ちている。それこそが「ジークフリート牧歌」。
 妻コジマの誕生日にトリープシェンで初演された室内楽的管弦楽曲には、楽劇『ジークフリート』からのモティーフが絹の如ききらめきを放ちながら織りこまれ、一枚のタペストリーを構成している。この曲を聴いていると決まって、心の底からふわりと暖かい気持ちが浮かびあがってくるのだが、こんなエクスタシーにも似た幸福は、たとえモーツァルトを聴いていても、なかなか得られるものではない。
 安らぎや幸福を求めて耽りたいな、と思うとき、ふと手を伸ばしてしまう音楽、「ジークフリート牧歌」。わたくしの愛聴盤はロベルト・ケーニヒ指揮、「バイロイト祝祭管弦楽団のメンバーによる室内管弦楽団」の演奏である。一夏のオーケストラのメンバーたちによって奏でられる夢のように甘美で、まろやかな音のタペストリー、「ジークフリート牧歌」。これほどまでにあたたかく、幸福感に満ちた演奏が、一体あっただろうか?
 いましばらくはこのCDを玉座から引きずり落とせるような演奏とは、出会えそうもない。◆

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