第1317日目 〈わたくしは翻訳で育てられた;学生時代に翻訳した幾つかの小説を肴にして。〉 [日々の思い・独り言]

 これまで書いた文章を仕舞った箱を漁っていたら、学生時代に翻訳した小説の一部を発見しました。
 行きつけの古本屋で発掘した短編のウェスタン小説、スティーヴン・キング『IT』の前半1/4(読めた代物ではない)、なによりびっくり仰天してしまったのがダニエル・スティールのロマンス小説だ。長編1冊丸々ではなくその冒頭部分のみの残念稿。
 が、どうやら翻訳という作業は自分には向いていないらしい。そんな風に悟り、以後は翻訳に手を染めることはないまま、今日に至ります。
 それにしても、なぜダニエル・スティールを翻訳したのか。ロマンス小説好きの元カノの影響だったのかしら。スティールは大嫌いと公言していたような覚えもあるのだが……。
 そういえば1990年代初頭はハーレクイン社以外の出版社から、ロマンス小説が陸続と翻訳されて、日本語で読む選択肢が増えた時代ではなかったか。ヒストリカル・ロマンスなどジャンルの細分化も、この当時から始まったように覚えている。これに乗じて翻訳家デヴューを目論んだのかも。それぐらいしか翻訳した理由は思い浮かばないよ、モナミ(あなた)。
 ウェスタン小説も翻訳したが、というのも、好きでいろいろ読み耽っていたら、探せる範囲内にはいつの間にか日本語で読めるものがなくなっていた、というだけの話(児玉清の原書読みのきっかけと似ておりますな。まぁ、ファンとはそういうものだろう)。
 それは進学して最初の年だ。行きつけの古本屋にペーパーバックが棚の3、4段を占めているのに改めて注目した。行けば大抵2冊ぐらいは欲しいウェスタン小説が見附かる。学校近くの公園のベンチに寝転がって、読んだ。英語はあまり難しいものでないし、凝った言い回しが頻出するわけでもない。それが次の小説を読ませる原動力の一つにもなった。
 そうやって手に入れたなかに、雑誌編集者であったH.S.ホームズの『荒野の追撃者』と『開拓地にて』という短編があって、それを冬の夜寒、年末のNHK-FMでバイロイト音楽祭を聴きながら、翻訳した。これがまた格別に楽しい作業で、平井呈一の「冬の夜に辞書を引き引き怪奇小説を読む楽しみはまた格別のものです」(いま本が手許にないのでうろ覚えで失礼)なる名言を真(まこと)と実感したのは、このときが初めてでしたよ。
 かれにはあともう1編、短編のウェスタン小説があるけれど、これは不思議と手を着けた覚えがない。機会があれば訳してみたいと思いますが、如何せんこの人の作品はあまり小説的結構が整っていない、なぜか素人臭のするものなので、正直、本ブログでこっそりお披露目するのも躊躇いがある。著作権の問題も無視できない。でも、夕食後の一刻をナイター中継代わりに楽しむ分には悪くない、と、いまでも思うております。
 世に小説の書き方を教える本はたくさんありますが、日本人作家たちの書いた<小説の書き方>よりも、翻訳家たちが著した<翻訳作法>の方が、却って勉強になり、教えられるところや、首肯して(良い意味で)影響を蒙る点が多い。いま本ブログにて粛々と進めている聖書読書ノートの文章も、戦後の日本人作家より古今の海外の小説家たちの文章、或いは贔屓の翻訳家たちの文章に育てられているところ、大であります。少なくとも、文章に関してはそうです。これ以上は口を慎みますが、そんな物書きもこの国にいるのです。
 <青春時代のまたとない記念>といえなくもない翻訳原稿を発見して、つらつら思うた限りのことを書いてみた。翻訳についてはまた改めて稿を草せればよいと希望しております。
 なお、タイトルと内容が些かの齟齬を来しております。ご了承願ください。えへ。◆

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