第1318日目 〈「ヨエル書」前夜with与太話はともかく;読書生活に於ける今年後半の目標〉 [ヨエル書]

 12小預言書の2番目の書物、「ヨエル書」に入ります。
 ヨエルは他の預言者と異なり、その活動期がいつなのか、わからない人であります。「ヨエル書」にそれを示す根拠が見当たらず、記述内容から推測するより他ないのですね。
 アッシリアによるサマリア陥落の時代やバビロニアによるエルサレム陥落の時代、或いはバビロン捕囚が終わってエルサレムへ帰還したエズラやネヘミヤの時代、など様々あります。が、結局詳らかにはなっていない、というのが実情。かれについてはユダの人、ペトエルの子、という程度しかわかっておりません。
 斯様な次第もあって、本書の成立時期もまちまちにいわれている。エズラ、ネヘミヤが帰還した前400年代とされる一方で、南王国ヨシュア王の御代(前837-800年)に活動したであろうことから、それから程遠くない時代とされもする。「エレミヤ書」や「ゼパニヤ書」との関係から前600年頃とする説もある。
 本ブログでは「いつ」と仮定して進めるつもりはありません。時代特定をしても意味がない書物だからであります。本書を軽視しての発言ではなく、むしろどの時代に於いても通用する内容を持っている、そう思うからであります。
 現実の自然界の脅威;いなごが作物を食い荒らす、という喩えを用いて滅亡が間近い、と強い調子で語る「ヨエル書」。主の日はいつだって目前に迫っている。「それは闇と暗黒の日、雲と濃霧の日である」(ヨエ2:2)である、という。
 が、そんな厳しい調子のなかにも、慈しみの思いが寄せられています。甚だ抽象的な章ですが、第3章〈神の霊の降臨〉にそれは顕著であります。この章は(あとで述べますが)新約聖書「使徒言行録」2:16-21、ペトロの説教に取りこまれてもおります。
 全4章の短い書物ですが、明日から「ヨエル書」を読んでゆきましょう。



 近頃まったく本が読めていない。買った本が机の脇に山積みとなっている光景を横目で眺める。――小山清『落ち穂拾い』(ちくま文庫)、庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』に始まる<薫くん4部作>(新潮文庫)、新井素子『ひとめあなたに…』(角川文庫)、源氏鶏太『社長秘書になった女』(同)などが、山脈を築く。ああ、こんな事態、久しぶりだ!
 購入してすぐに読んだ本は少ない。最近では『怪樹の腕』(東京創元社)と南條竹則『怪奇三昧』(集英社)、コニー・ウィリス『犬は勘定に入れません』(上下、ハヤカワ文庫SF)ぐらい。他の時間は専ら聖書読書に割り当てられて、空き時間で村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』を読んでいる。しかも未だ第2部なんだよね、ごめん。
 どうしてかな、と小首を傾げる必要もない。上でもちょっと触れたが、聖書読書とノートに時間を割いているからだ。仕事以外の時間を有効に使うってなかなか難しい。会社帰りに寄るスタバが午前0時ぐらいまで営業してくれていればいいのにな。うむ。
 これでフリーランスになったらもっと読めるようになるか、というと、とんでもない話でむしろ逆になるんだよね、おいらの場合。もっとも、フリーになる気はないけれどね?
 そんな与太話はともかく。
 新しく買うのは控えて、空き時間を効率的に用いて、積ん読本を順次読み倒してゆくことが今年後半の目標である。それが済み次第、おいらは太宰とドストエフスキー、そうしてアガサ・クリスティに戻るぜ!◆

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