第1325日目 〈アモス書第1章:〈諸国民に対する審判〉1/2withマヌケにも程がある。〉 [アモス書]

 アモス書第1章です。

 アモ1:1-15〈諸国民に対する審判〉1/2
 ベツレヘムの南の町、テコアで牧者をしていたアモスが預言者として召命された。北王国イスラエルに移ったかれは、専らベテルにて主の言葉を伝えた。それはヤロブアム2世の御代、かの大地震から2年後のことである。

 諸国民は謹んで聞け。いま主の咆吼がシオンの山から轟く。大地は嘆き、果樹園は枯れる。
 主がいう、――ダマスコの3つ、4つの罪をけっして赦さない、と。わが民の住まうギレアドに侵攻して、そこを蹂躙したからだ。それゆえわたしはハザエルの宮殿に火を放ち、その火がベン・ハダドの城壁を舐め尽くすようにする。また、城門の閂を抜いて、支配者と王勺を持つ者を断つ。ダマスコを擁すアラム地方の民は皆、キルの地へ捕虜として引かれてゆく。
 主がいう、――ガザの3つ、4つの罪をけっして赦さない、と。捕虜としたわが民をエドムへ引き渡したからだ。それゆえわたしはガザの城壁に火を放ち、その火が城郭を舐め尽くすようにする。そうして支配者と王勺を持つ者を断ち、また、エクロンを撃つ。ガザ、アシュドド、アシュケロン、エクロン以外のペリシテの民も、皆滅びる。
 主がいう、――ティルスの3つ、4つの罪をけっして赦さない、と。捕虜としたわが民をエドムへ引き渡し、兄弟の契りを心に留めなかったからだ。それゆえわたしはティルスの城壁に火を放ち、その火が城郭を舐め尽くすようにする。
 主がいう、――エドムの3つ、4つの罪をけっして赦さない。「彼らが剣で兄弟を追い/憐れみの情を捨て/いつまでも怒りを燃やし/長く憤りを抱き続けたからだ。」(アモ1:11)それゆえわたしはテマンに火を放ち、その火がボツラの城郭を舐め尽くすようにする。
 主がいう、――アンモンの(人々の)3つ、4つの罪をけっして赦さない、と。ギレアドに住まう妊婦の腹を裂き、自分たちの領土を拡大しようとしたからだ。それゆえわたしはラバの城壁に火を放ち、その火が城郭を舐め尽くすようにする。嵐の日に戦いが起こる、熱風の吹くなかで鬨の声があちこちから上がる。王も高官も捕囚となり、連行されてゆく。

 アモ1:2「羊飼いの牧草地は乾き/カルメルの頂は枯れる」を自分の言葉、自分の文章とするには難しい。何度も書いて、何度も消して、何度も直した。自信はない。考え倦ねて岩波版旧約聖書「十二章預言書」の脚注を参考に上記のような文章を作ったが、やはり自信はありません。
 城壁に火を放ち、城郭を舐め尽くす――これはその国、町の防御力を弱めるという意味合いもあるか、と思います。
 さて、ティルスへの審判のなかで<兄弟の契り>なる表現が出て来ます(アモ1:9)。これについては未詳ですが、サム下5:11や同24、王上5:15-26に見られるダビデとソロモンの神殿建築に伴うティルスの協力関係や、王上16:31に載る北王国アハブ王がシドン人の王の娘を妻にしてバアル神を崇めた云々の、いずれかを指すのかもしれません。
 エドムの項に於いて「彼らが剣で兄弟を追い」とあるのはなぜなのか、既に何度か触れましたが、ここでもう一度。イスラエルとエドムは同じ血を引く同胞でありました(創25:25、同36)――「(イサクの長子、ヤコブの兄)エサウはエドム人の先祖である」(創36:43)。それを踏まえた表現であります。



 たとえばお店のレジで、子供がいる前で店員に怒鳴ったり、声を荒げたりするパパやママ。そんな親に限って子供が長じた後、素行の悪さを嘆き、批難する。
 あなた方がかつて子供の前で示した態度が、その子の手本になっていたり、その子の記憶に刷りこまれた結果であることを、わかっているのかな。マヌケにも程がある。序に、世界はそれを自業自得と呼ぶ。◆

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