第1341日目 〈ヨナ書第3章&第4章:〈ニネベの悔い改め〉with七夕が日曜日、なんて出来過ぎじゃない?〉 [ヨナ書]

 ヨナ書第3章と第4章です。

 ヨナ3:1-4:11〈ニネベの悔い改め〉
 主が再びヨナに、ニネベに行って預言するよう命じた。今度はヨナも逆らわず、えっちらおっちら、ニネベに行った。その都は大きく、一周するのに3日もかかる程だった。かれは都のなかを1日分の距離だけ歩き、そのあと、あまねく都の人々にあと40日すればニネベは滅びる、といった。
 これを聞いてニネベの民は身分の貴賤にかかわらず皆、身に粗布をまとった、ヨナの神の言葉を信じたのである。この騒ぎはニネベの王の知るところとなった。王は自ら灰を被り、粗布をまとい、灰の上に坐した。そうして王と大臣の名の下、国民に断食を布告した。
 ──ひたすらイスラエルの神に祈願せよ。何人も悪の道を離れて、その手から不法を捨てよ。そうすれば神は思い直し、滅びを撤回してくれるかもしれない。
 神なる主は、自分の前に届いていたニネベの悪がかれらから離れたのを見て、ヨナへ預言していたニネベの滅亡を取りやめた。
 が、それによってヨナの不満は募った。かれは主に抗議した。──だから国を出る前にいったではありませんか、結局あなたは慈悲を抱いて宣告を撤回するのだ、ならばわたくしがわざわざニネベに行く必要なんてないでしょう、と。「どうか今、わたしの命を取ってください。生きているより死ぬ方がましです。」(ヨナ4:3)
 主が訊いた、ヨナよ、それは本当に正しいことか、と。
 ヨナは答えず、ニネベの都を出た。東へ歩いて郊外に至ると、そこに、日射しを避けるため小屋を建て、都になにが起きるか見届けようとした。
 日射しをやわらげてヨナの苦痛を減じようと、主は小屋の裏にとうごまの木を生やさせた。ヨナはその快適さに満足した。主は今度は虫に命じてとうごまの木を喰わせて枯らし、風に命じて熱風を吹かせた。ヨナはぐったりして、死を願った。
 主が訊いた、とうごまの木のことをお前は怒るが、それは正しいことか、と。
 ヨナは、勿論です、怒りのあまり死にたい程ですよ、と答えた。
 そんなかれに、主の言葉、──
 自分が育てたわけでもないとうごまの木が一夜にして駄目になったことをお前は惜しんでいる。ならば、わたしがニネベの都を惜しむ気持ちもわかるのではないか。そこには12万人を超える右も左も弁えない人々と無数の家畜がいるのだから、と。

 ヨナの物語、終わり。

 明記されてはいませんが、ヨナが国を出る前に主に対していったこと(いったとされること)がどんなことなのか、だいたい予想が付きますね。
 ──おそらく、自分がわざわざ出向くこともないでしょう、土壇場であなたは宣告を自ら覆して滅びなんて与えやしないのだから──。ヨナの行動の根本にはそんな思想が優先的に働いている風に思えます。
 預言者としてよりも人間として如何に己の心に正直になるか、を考えていた、旧約聖書にはあまり類例を見ない人物がヨナであります。ここで独り言させていただけば、ヨナとヨブ、名前が似ているかれらは、<神>なる存在とそれへの信仰に対して独自のスタンスを築いておりますな。

 「ヨナ書」は本日を以て終わります。途中、不測の事態によりお休みさせていただいたこと、改めてお詫び申し上げます。とまれ、皆様には最後までお読みいただきありがとうございました。
 次の「ミカ書」は明後日から読み始める予定でおります。



 昨日の七夕はご自分だけの織姫、彦星とお逢いになれましたか? 忘れ難き一刻を過ごされた方も居られるかと存じます。
 わたくし? ひたすら部屋の片附けと処分品の選別と処理に追われ、夜のぽっかり空いた時間を使い、マルクス・ブラザースの映画を観ておりました。
 なんだか、奇妙に充実した一日であった。誇張でも自嘲でもなく、真実そう思える日。どうしてだろうね?
 きっと自分を捕らえていた怒りや憎しみから解放されたからでありましょう……わたくしは以後、かれらを憐れみながら生きてゆこう。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。