第1352日目 〈H.ヘッセ著/V.ミヒェルス編『ヘッセの読書術』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 午前5時12分に起床しました。この時間に起きると、世界はとても清々しいですね。さわやかな空気とあわやかな雰囲気に満ちあふれている。まるで天国……。でも、寝たのが午前3時25分頃、とあっては、目をぱっちり開けて早朝の故郷を楽しむ心の余裕はまだ生まれていない。そんななかで、ヘルマン・ヘッセ著/フォルカー・ミヒェルス編『ヘッセの読書術』(草思社)を、くっ付きそうな目蓋をむりやり開けて、読んでいました。
 高校生の頃、朝の通学電車のなかで読んでいたことが専らであるせいか、未だわたくしにとってヘッセは朝の作家であり、その作品は朝方に読むのがぴったり来る。朝という時間帯の雰囲気や心身のコンディションがそうさせるのかもしれない。
 そういえば仕事で九州を一周していた一ヶ月弱の間も、午前中はヘッセを読んでいた記憶がありますね――で、夜はガストン・ルルー『オペラ座の怪人』を耽読した。後年、プライヴェートで九州旅行した際も、携えていたのはヘッセとルルーだったのですが、いったいどんな因果関係が、九州とこの2人の作家にはあるのだろうか、と、大分空港発羽田空港行きのANAの機内で考えましたね。さすがに。
 『ヘッセの読書術』は赤川次郎が見当違いの噛みつきをした、テーマ別エッセイ集の1冊。読書に関するヘッセの文章を年代順に並べた各編のうちでは、かつて新潮文庫で『世界文学をどう読むか』の題で広く親しまれた『世界文学文庫』がやはり白眉といえようか。
 新潮文庫版がいま手許にないので(処分しちゃったのかなぁ)確かめられないのですが、『ヘッセの読書術』所収の方では、ヘッセがエッセイ中で触れた作家の作物の翻訳書を、入手しやすい文庫で(或いは新書で)、しかも岩波文庫と新潮文庫、角川文庫に関しては絶版になったものを併せて紹介してくれている。これがどれだけの労作か。これから文学に親しもうとする方はこのリストを参考に、新刊書店や古本屋、新古書店を廻ればよいのではあるまいか、と思います。
 高校生の頃に高橋健二訳『世界文学をどう読むか』を古本屋で見附けたわたくしは、本書とHPL『読書の指針』を参考に、古典とされる西洋文学を一点ずつ読んでいったのであります。
 むろん、読み得たのは氷山の一角どころの話ではなく、それより遥かに少ない数であろうが、お小遣いも限られ、情報収集もままならぬ高校生がよくそれだけの量を読んだな、とわがことながら感心もし、呆れてもしまいます。当時はまだ文庫も安く、古典とされる作品は新刊書店の棚に概ね供給されていましたから、古典に親しむ、古典を読む、という環境が整っていた、或る意味最後の幸福な時代に巡り合わせた<運>は否定できない。
 ただヘッセの軸足は主流文学にあるため、そこから少しでも逸脱するようなジャンルを求める方にはどれほどの益があるか、なんともいいかねるところがある。どんなサブ・ジャンルでもその道の古典を読んでおくことで、より楽しめる作品や作家もあるのは事実。そんな出会いがたくさん重なって西洋文学の古典を読んでみようか、と思うたとき、水先案内人役にこのエッセイを選べばいいのではないでしょうか。
 庭いじりの喜びや雲についての文章をまとめた本も、同じミヒェルスによって編まれて日本語で読むことができる。こちらも機会あれば読んでみるのも悪くない。<テーマ別エッセンシャル・ヘッセ>に親しんでなお、かれの小説や詩を求めるならば、そのまま躊躇うことなく新潮文庫のヘッセ作品へ進むのが良いのではありませんか。
 間もなく6時。今日は代休、加湿器を掃除したあとヘッセの『郷愁』を読みます。◆

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