第1385日目 〈ゼカリヤ書第7章&第8章:〈断食と回復の約束〉with『テッド』続編、制作決定!〉 [ゼカリヤ書]

 ゼカリヤ書第7章と第8章です。

 ゼカ7:1-8:23〈断食と回復の約束〉
 時は移ってダレイオス王の治世第4年(前518年)、主の言葉が預言者ゼカリヤに臨んだ。それはこういう謂われである。
 その年の9月(キスレウの月)の4日。ベテルに住むユダヤ人は同胞サル・エツェルとレゲム・ベレク、かれの従者たちをエルサレムへ派遣して、主の恵みを求めさせた。また、神殿の祭司たちと預言者たちに、長年行われてきた5月の断食を今後も行うべきであろうか、と質問した。節制して悲しみのときを持つべきだろうか?
 万軍の主の言葉がわたくしへ臨んだのは、このときである。主はいった、――
 あなたたちは70年もの間、5月と7月に断食を行い、嘆き悲しんできた。しかしその好意は本当にわたしのために行ったものであるのか。飲むも食べるも自分たちのためではなかった、と果たしていえるのか。往古エルサレムと都近郊の町に、ネゲブとシェフェラに人が住んでいた時分、わたしが往時の預言者たちへ呼び掛けた言葉を、果たして知らないか。おお、万軍の主はこういう、人々よ、互いに災いを心のなかで企むなかれ、と。
 が、民は主の言葉へ耳を傾けるのを拒んだ。主が往古の預言者たちを通して与えた律法と言葉に耳を塞いだ。主の怒りは激しく燃え盛った――かれらはわたしの呼び掛けに応えなかった。だからわたしもかれらの言葉を聞かない。
 「わたしは彼らを、彼らの知らなかったあらゆる国に散らした。その後に、地は荒れ果て、行き来する者もなくなった。彼らは喜びの地を荒廃に帰させた。」(ゼカ7:14)

 わたし主はシオンに激しい熱情を注ぐ。激しい憤りを以て熱情を注ぐ。わたしは再びシオンに来て、その中心に住まう。エルサレムは信頼される都となり、町の広場には長寿の人らが憩い、童子と処女が舞う。わたしは日が昇る国からも日が沈む国からもわが民を救い出してエルサレムへ連れてこよう。斯くしてかれらは(再び)わが民となり、わたしは真実と正義に基づいてかれらの神となる。
 勇気を出せ――あなたたちはこの言葉を近頃よく聞くはずだ。神殿の再建が始まったその日から、わたしが選んで任じた預言者の口からこの言葉を聞いているはずだ。
 以前はわたしが放置していたがゆえに報酬も食糧も得ることなく、敵に脅かされることなく安心して暮らすことのできなかったかれらだが、いまやわたしはわが民の残りの者らに対する扱いを改める。「平和の種が蒔かれ、ぶどうの木は実を結び/大地は収穫をもたらし、天は露をくだす。/わたしは、この民の残りの者に/これらすべてのものを受け継がせる。」(ゼカ8:12)――恐れるな、勇気を出せ。
 わたしは再びエルサレムとユダの家に幸いをもたらすことに決めた。そのためにもあなたたちが為すべきことは以下の通りである、――
 ・互いに真実を語り合え。
 ・城門では真実と正義に基づいて、平和をもたらす裁判を行え。
 ・互いに心のなかで悪を企むな。
 ・偽りの誓いをするな。
 これらすべてをわたしは憎む。ゆえにこれらを為せ。

 断食について、主の言葉がわたくしゼカリヤに臨んだ。曰く、――
 4月の断食、5月の断食、7月の断食、10月の断食は、ユダの家にとって祝祭となる。あなたたちは真実と正義を愛さねばならない。

 万軍の主はいう、――
 更に多くの民、多くの町の住民がエルサレムへ到着する。
 或る町の住民が他の町へ行き、その町の住民に、一緒に都へ行って主の恵みを求めよう、エルサレムへ行って主を尋ね求めよう、と声掛けする。すると他の町の民は首肯して、喜んで行こう、と答える。
 更に多くの民、強い国の民もエルサレムへ来て、ここにいるわたしを尋ね求めてわが恵みを受ける。
 「その日、あらゆる言葉の国々の中から、十人の男が一人のユダの人の裾をつかんで言う。『あなたたちと共に行かせてほしい。我々は、神があなたたちと共におられると聞いたからだ。』」(ゼカ8:23)

 わたくしたちはいま、これまで預言書のどれとも比較できないぐらい、確固とした回復のメッセージを読みました。押しつけがましい感もありますが、何度読み返してもその感想は引っこめる気になりません。斯くも主の恵みにあふれたメッセージは終ぞなかった。それを十全に伝えるためにはどうしても長くならざるを得ない。為にノートも長くなったことをお断りしておきますね。
 断食問答かと思えば、実はここは信仰の伝播を示唆する章であった。世界にユダヤ人が拡散する、即ち、主を尋ね求める想い、主に依り頼む想いが異邦の地の人々の間に干天の慈雨如く浸透してゆくのを望み、それが実現することを視野に入れた章であった。キリスト教という形でその野望(?)は達成された今日の目で見ると、頗る周到な章とも読めることは否めません。
 さて、ところで。
 ゼカ8:21「『さあ、共に行って、主の恵みを求め/万軍の主を尋ね求めよう。』/『わたしも喜んで行きます。』」ですが、かつて読んだ書物の一節を思い出させないでしょうか。わたくしはこれを読んで、「詩編」の一節――第122篇を思い出しました。冒頭の一節を思い出し、どこかにあった、と探してみたら第122篇だったわけです。また一方で、第126篇を連想もした。前者はエルサレムへ上る際の詩、後者は捕囚からの帰還を承けての詩であります。本ブログに於いては、第0824日目と第0828日目でお披露目してあります。宜しければ併せてお読みいただければ幸いです。
 最後に引用したゼカ8:23、これはやはりメシア預言なのでしょうか。

 ……思った程長くはならなかったですね。



 あのモコモコのテディ・ベアが帰ってくる。『テッド』続編の制作が決定した。
 主人公カップルは結婚して子供もいるだろうか? テッドがお守りだったらその子はどうなる? あの誘拐犯親子は再登場を果たすのか? テッドはどんな騒ぎを巻き起こしてくれるのか? ――様々な妄想と期待がわずかの不安を押し潰してわが胸中に広がってゆく。楽しみにしていよう。
 日本公開は2015年夏予定。◆

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