第1402日目 〈創世記第1章&第2章1/2:〈天地の創造〉1/2withそういえば亡き婚約者の使っていた聖書も、……〉 [創世記]

 創世記第1章と第2章1/2です。

 創1:1-2:4〈天地の創造〉1/2
 ――神がいた。まず始めに天と地が造られたが、それまであたりは混沌としていて形の定まることがなかった。闇は深淵の面にあって、水の面を神の霊が漂い動いていた。
 そうして遂に神はいった。光あれ。それが最初の言葉である。
 神の言葉によって光が生まれた。それを見て神は良しとした。闇のなかに生じた光は昼と呼ばれ、闇は夜と呼ばれるようになり、神はそれぞれを分かった。夕べがあり、朝があった。これが第一の日である。
 次に神はいった。水のなかに大空あれ、水と水を分けよ。
 神は空を造った。それまで一つ所にあった水は空の上と下とに分けられた。神は空の上の部分を天と呼んだ。夕べがあって、朝があった。これが第二の日である。
 次に神はいった。天の下の水は一つ所に集まれ、乾いた所が現れよ。
 神の言葉に従って、空の下にあった水は一つ所へ集まり、水が退いたあとは乾いた所、地と呼ばれる所が生まれた。水が集まった所は海と呼ばれた。その様子を見て神は良しとした。
 続けて神はいった。地は草を芽生えさせよ、種を持つ草とそれぞれの種を持つ実を付ける果樹を地に芽生えさせよ。――すると、地には草が生えた。種を持つ草と種の持つ実を付ける果樹が、地に生えた。神はそれを見て良しとした。夕べがあり、朝があった。これが第三の日である。
 次に神はいった。天の大空に光る物があって昼と夜を分け季節のしるし日や年のしるしとなれ、天の大空に光る物があって地を照らせ。
 神は2つの大きな光るものと星を造った。光るものの大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせた。またこれらを以て昼と夜が分けられた。即ち太陽と月の創造である。その様子を見て神は良しとした。夕べがあって、朝があった。これが第四の日である。
 次に神はいった。生き物は水のなかに群がれ、鳥は地の上つまり天の大空の面を飛べ。
 神によってあらゆる水棲の生き物が、大きな怪物までも含めて創造された。また、翼ある鳥もそのときに創造された。神はこれを見て良しとし、自らの創造物を祝福した。神の言葉;産めよ増えよ海の水に満ちよ、鳥は地の上に増えよ。――夕べがあり、朝があった。これが第五の日である。
 次に神はいった。地はそれぞれの生き物を生み出せ、家畜這うもの地の獣をそれぞれに産み出せ。
 神はそれらを造り、それらを見て良しとした。
 続けて神はいった。我々にかたどり我々に似せて人を造ろう、そして海の魚空の鳥地の上を這う生き物すべてを支配させよう。
 自分をかたどって人を、神は創造した。男と女を神は造った。神は自らの創造物を祝福した。神の言葉;産めよ、増やせよ、そうして地に満ちて地を従わせよ。生きとし生けるものすべてを支配せよ。
 「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」(創1:29-30)――これが、天地創造に於ける神の(記録される)最後の言葉であった――。
 そのようになった。神は自分の創造したすべてのものを見た。それは極めて良かったのである。夕べがあり、朝があった。これが第六の日である。
 ……斯くして天地万物を創造する仕事は完成した。
 第七の日、神は仕事を離れ、安息した。「この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。」(創2:3 ex;出20:8,11)
 これが天地創造の由来である。

 旧約聖書の神は言葉を以て自ら行動する神である。それはそもそもの始まりからであった。神が言葉を発しなかったらいつまで世界は闇に閉ざされ、不定形のままであったのだろう。
 わたくしは旧約聖書は神話と歴史と詩歌と幻視譚の集合体である、と常々思って疑わぬ者であります。初めて旧約聖書――それはつまり「創世記」ということですが――を一行ずつ追って読んだ際、万物創造が<言葉>というありふれた手段を採って為されてゆくところに驚きを禁じ得ませんでした。そうして同時に、日本神話をも連想したのでありました……。
 第六の日(創1:27)に神は人を創造しました。これをアダムと考えることは宜なるかな、と思うのですが、それで宜しいでしょうか。間違ってはいないでしょうか。神は土の塵から造った人を東の方にあるエデンの園に置いて、或るとき人は一人でいてはいけない、と思い立ち、かれが寝ている間にあばら骨を一本抜いてそれに命を吹きこみ、かれの妻とした。それがアダムとエバでありましたが、それを神の一連の創造行為のなかに置いて、いわば第2章の予告編としているのが、第六の日の当該節であります。――勿論、これについては明日に触れる予定でおります。
 それにしても海の怪物レビヤタンは第五の日に創造されているのですかね、やはり。
 ――今日から改めて、気持ちを引き締めて旧約聖書を読んでゆきます!



 今年の初めに補綴したわが聖書ですが、早くも再びちょい壊れ状態になってきました。旧約聖書続編を読了するまでは、なんとか形を保つのだろうけれど、問題はそのあと、新約聖書に入ったあとですね。
 あと2年半は付き合うことになる本だから、なんとか持ちこたえてほしいのだけれど……。だって「ヨハネの黙示録」の最後の一文字までこの聖書で走り抜きたいですから。そうしたあとで、再び聖書を読む機会も巡ってくるだろうから、その際はまた新しい聖書を買って、再びぼろぼろになるまで使えばよい。
 そういえば亡き婚約者の使っていた聖書も、こんな風にぼろぼろであちこちに書きこみとかしてあったなぁ……。もっとも、書きこみの集中してる書物から察するに、授業やら礼拝やらでそこを読んだ際に生じた書きこみが専らであるのだろうけれど。
 んんん、なんだか目から汗が出て来たよ。えへ。◆

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