第1405日目 〈創世記第4章:〈カインとアベル〉withそこまで薄情にはなれないよ。〉 [創世記]

 創世記第4章です。

 創4:1-26〈カインとアベル〉
 アダムは妻エバを知った。エバは夫アダムを知った。エバはカインを産み、アベルを産んだ。兄カインは羊を飼い、弟アベルは土を耕した。
 時が経ち、カインは農作物を献げ物として主にささげた。アベルは羊の群れから初子を選んで主にささげた。主はカインの献げ物に目を留めることはなく、アベルの献げ物に目を留めた。これに兄は怒った。そうして顔を伏せた。これを見た主がいった、「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」(創4:6-7)
 怒りの収まらぬカインは或る日、野原にてアベルを襲って殺した。
 主がカインに訊いた、アベルはどこにいるのか、と。カインは、知らない、と答えた。わたしは弟のお守りではない。すると主がいった、なんということだ、アベルの血が土のなかからわたしに叫んでいる、と。わたしはお前を呪われた者とする、弟の血を吸いこんだ土よりもなお呪われた者とする。土を耕しても作物が獲れることはなく、お前は地上を流離う者となる。
 わたしの罪は重すぎて背負いきれません、とカインはいった。ここから追放されて地上を彷徨う者となれば、わたしが出会う人は皆わたしを殺すことでしょう。それに対して主は、それゆえにお前を殺す者はその7倍の復讐を受けるだろう、といい、今後かれと出会う者がかれを殺したりしないよう、カインにしるしを付けた。
 こうしてカインはエデンを去り、流離った末にエデンの東にあるノドの地に住んだ。ノドとは「さすらい」の意味である。その地でカインは妻を知り、息子エノクを授かった。カインは町を建てたが息子に因んで「エノク」と命名した。
 エノクから4代あとの子孫、レメクはアダとツィラという2人の妻を娶った。アダはヤバルとユバルの兄弟を産み、ヤバルは家畜を飼い天幕に住む者の先祖となり、ユバルは竪琴や笛を奏でる者の先祖となった。ツィラもトバル・カインという子を産み、青銅や鉄で様々な道具を作る者の先祖となった。トバル・カインにはナアマという妹もいた。
 レメクは2人の妻にいった。「わたしは傷の報いに男を殺し/打ち傷の報いに若者を殺す。/カインのための復讐が七倍なら/レメクのためには七十七倍。」(創4:23-24)
 エバに次いでアダムは妻を知った。男児が産まれ、セトと名附けられた。カインがアベルを殺したため、神がかれに代わる子をアダムに与えたのである。このとき、アダムは130歳であった。セトも男児を得、エノシュと名附けられた。人が主の御名を呼び始めたのは、この頃からのことである。

 最後の節のアダムの子孫は付け足しと思いきや、実はそうでないことがすぐに明かされる。ここで歴史は修正され、軌道に戻ったのだ。神があらかじめ規定していた未来に軌道が修正されるための情報が、最後の節でわれらに提示される。これ以後の聖書の中心を流れる人物の系譜は、アダム-セト-エノシュの血筋から――真の意味で――始まるのだ。
 アダムとエバの一夫一婦制からカインの多婚制まではずいぶんと一足飛びであるな、との印象を受けますが、一世代で神の意向に背く社会風習を確立させてしまった点で人間の罪の深さを端的ながらも思い知らされる感がいたします。人間は造られた当初から罪ある存在であり、<愛>に背く者として、少なくとも聖書では描かれているようであります。それはずっと後の新約聖書の時代まで受け継がれ、イエスの死を以てしても贖いきれなかったことでありました。斯様に汚濁末法の時代の続くなかにあってこそ、主の目に正しいと映ることを行った人の存在がやたらとクローズアップされ、かつ後の時代にまで語られてゆくのでありましょうね……。
 なぜ神はアベルの献げ物を是とし、カインのそれを退けたのか。詳しくは語られていませんが、アベルの行いが神の目に良しと映ることであったためでしょう。まだ「創世記」では明文化されていない献げ物の規定が、本章にて物語の形を借りて定められている点を踏まえると、特に「レビ記」でしつこいまでに説明される献げ物の規定が少しはわかりやすく、抵抗なく、興味を持って読めるように思います。
 「骨肉相食む」と申しますが、西洋に於いてはこの兄弟の挿話が起源なのでしょう。親の愛を巡って兄弟で争うことを“カイン・コンプレックス”と呼ぶそうですが、そういえば『古事記』にも似たようなお話があったなぁ。
 ――<カインとアベル>と来てわたくしがすぐに思い浮かぶのは、ジョン・スタインベック『エデンの東』であります。J.ディーン主演の映画でも有名で、今世紀初めに新訳が刊行されましたけれど、これはカインとアベルの争いをモティーフにした長編小説でした。これを読んだ当時は旧約聖書はおろか、カインとアベルの話もろくに知らなかったのでそのあたりは特に注意を払わずに読んでいましたが、こうして旧約聖書を読んでおり今日こうやって<カインとアベル>の話を読んだので、たとえば年末の休みになど時間を割くことが出来れば読み返してみたく思うております。
 そういえばジェフリー・アーチャーにもこれをモティーフにした『ケインとアベル』という長編小説がありました。高校生のときに手を出して読んでみましたがどうにも馴染めず上巻だけで挫折し、それっきりです。こちらはどうも読み返そうという気がしないのは、やはり好みの問題でしょうか。
 珍しく本稿はノートPCで書いてみました。この方法にも馴れておかないとな。



 恋人の裸を見知らぬ不特定多数の他人が見て興奮しているのかと思うと腹が立つ。
 それがカノジョの仕事だろ、割り切れよ、見られてナンボ・勃たせてナンボの世界で生きてるんだから綺麗事ぬかすなよ。そんな言葉を頂いてきました。彼女の仕事が受け入れられないなら別れろよ。そんな言葉も頂きました。
 斯様な言葉を寄せてくださった皆さんが羨ましい、どれだけ情を交わしても将来を約束した彼女の仕事がAV女優だったら後腐れなくさっぱり離縁できるのだから。これまでのことをすべてなかったことにして自分上位で別れを切り出せるのだから。残念ながらわたくしはそこまで薄情にも冷たくもなれません。
 とはいえ、そろそろカウント・ダウン開始かな……?◆

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