第1406日目 〈創世記第5章:〈アダムの系図〉withブログを続けてゆくにあたって、わたくしの希望、願望、そうして願い。〉 [創世記]

 創世記第5章です。

 創5:1-32〈アダムの系図〉
 神は創造の日々に人を造り、祝福した。人はアダムと名附けられた。
 そのアダムは130歳のとき、息子セトを授かった。アダムはその後、930歳で死んだ。
 セトは105歳のとき、息子エノシュを授かった。セトはその後、912歳で死んだ。
 エノシュは90歳のとき、息子ケナンを授かった。エノシュはその後、905歳で死んだ。
 ケナンは70歳のとき、息子マハラルエルを授かった。ケナンはその後、910歳で死んだ。
 マハラルエルは65歳のとき、息子イエレドを授かった。マハラルエルはその後、895歳で死んだ。
 イエレドは162歳のとき、息子エノクを授かった。イエレドはその後、962歳で死んだ。
 エノクは65歳のとき、息子メトシェラを授かった。エノクはその名の通り(「従う者」)、神と共に歩み、神に取られていなくなった。かれは365年生きた。
 メトシェラは187歳のとき、息子レメクを授かった。メトシェラは969歳で死んだ。
 レメクは182歳のとき、息子ノアを授かった。レメクは777歳で死んだ。
 ――いずれも皆、名を挙げた他にも息子、娘をそれぞれ設けた。
 さて、ノアであるが。かれが生まれたとき、父レメクは、主の呪いを受けた大地で働くわれらの手の労苦を、きっとこの子が慰めてくれることだろう、と希望した。ノアとは「慰め」の意味である。
 このノアは500歳のとき、セト、ハム、ヤフェトという3人の息子を授かった。
 ……そうして全地を粛正するが如き、大洪水とそれに伴うノアの物語が始まる。

 聖書の特徴の一つ、<系図をだらだらずらずら、バカ正直に全部書いてみた>の第一弾が本章<アダムの系図>であります。もう少し正直にいうなら、アダム-カインとアベル兄弟に続くものではなく、アダム-セト-エノシュと続く聖書の中心を担ってゆく人々の父祖の系図――いわば第二の系図です。
 かつてカインの子(アダムの孫)にエノクがいた。エノクの玄孫にレメクがいた。アダムからノアに至る系図のなかにもエノクとレメクの名がある。短期間で同名の者が登場すると、折りにつけ混乱しがちだけれど、勿論別人であります。
 本章で述べられるアダムの系図に連なるエノクだけが何歳で死んだ、という説明がありません。というのも、神に従って共に歩き、神が取ったからである。「取った」という語にどれだけの意味合いが含められるのか、わかりませんけれど、その説明ゆえに後の人々に好んで(?)語られる人物となったのでありました。長き歳月のあと、北王国イスラエルに現れた預言者エリヤの原型ともいえましょう。
 ノアについては次章から始まる洪水と流離の物語のなかで、述べるべきことあらば述べようと思います。レメクの台詞は創3:17と創4:11を踏まえてのそれであります。



 書く以上は読者に対して責任がある。定時更新を実行してきたのに同じ時間に新しい記事があがっていないと、もしかするとがっかりしたり、もう二度とここへは来ないという人がいるかもしれない。そんな恐れを抱いて、それゆえの義務と愉悦を抱いて、飲んだくれて帰宅した午前1時前に、カップラーメン啜って原稿を書いています。それは礼儀ですよね。でもなぜこうまでしてブログを更新するかといえば、やはり読者を失いたくなくて、読者を繋ぎとめておきたくて、しかしそれ以上に読者を獲得し続けてゆきたい、という願望の表れかな。こんな風になっても前に進む。だから読者諸兄よ、許す範囲で一緒に前に進んでほしい。これがわたくしの希望、願望、そうして願い。ダメかな?◆

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