第1412日目 〈創世記第10章:〈ノアの子孫〉with求めてやまぬ夢の最終着駅〉 [創世記]

 創世記第10章です。

 創10:1-32〈ノアの子孫〉
 セムとハム、ヤフェトの子孫を系図ごとにまとめると、以下のようになる。地上の諸氏族は洪水のあと、このようにしてかれらから分かれ出たのであった。

 セムの子孫。――セムはエベルのすべての子孫の先祖である。
 セムの子はエラム、アシェル、アルパクシャド、ルド、アラム。
 アラムの子はウツ、フル、ゲテル、マシュ。
 アルパクシャドの子はシェラ、シェラの子はエベル。
 エベルの子はペレグとヨクタン。
 ヨクタンの子はアルモダド、シェレフ、ハツァルマベト、イエラ、ハドラム、ウザル、ディクラ、オバル、アビマエル、シェバ、オフィル、ハビラ、ヨハブ。
 かれらはメシャからセファルまでの東の高原地帯に住んだ。
 「これらが、氏族、言語、地域、民族ごとにまとめらセムの子孫である。」(創10:31)

 ヤフェトの子孫。
 ヤフェトの子はゴメル、マゴグ、メディヤ、ヤワン、トバル、メシェク、ティラス。
 ゴメルの子はアシュケナズ、リファト、トガルマ。
 ヤワンの子はエリシャ、タルシシュ、キティム、ロダニム。
 「海沿いの国々は、彼らから出て、それぞれの地に、その言語、氏族、民族に従って住むようになった。」(創10:5)

 ハムの子孫。
 ハムの子はクシュ、エジプト、プト、カナン。
 クシュの子はセバ、ハビラ、サブタ、ラマ、サブテカ。また、ニムロド。
 ラマの子はシェバ、デダン。
 エジプトの子はリディア人、アナミム人、レハビム人、ナフトヒム人、上エジプト人、カスルヒム人、カフトル人が生まれた。カフトル人からペリシテ人が生まれた。
 カナンから長男シドン、ヘト、エブス人、アモリ人、ギルガシ人、ヒビ人、アルキ人、シニ人、アルフド人、ツェマリ人、ハマト人が生まれた。「その後、カナン人の諸氏族が広がった。」(創10:18)
 カナン人の領土は北のシドンからゲラルを経て南のガザへ至る。更にカナン人の領土はソドムとゴモラ、アドマ、ツァボイムを経てラシャにまで広がっていた。これらは塩の海南部にあったと伝えられる低地の町々である(ex;創19:24-25,28)。
 「これらが、氏族、言語、地域、民族ごとにまとめたハムの子孫である。」(創10:20)
 ――クシュの子ニムロドは地上で最初の勇士である。かれは勇敢な狩人であった。かれの王国はシンアルの地にあり、バベル、ウルク、アッカドが主だった町である。ニムロドはそこを拠点にアッシリアへ進み、ニネベ、レホボト・イル、カラ、レセンの町を建てた。特にレセンはニネベとカラの間にあって、とても大きな町であった。

 「ノアの子孫である諸氏族を、民族ごとの系図にまとめると以上のようになる。地上の諸民族は洪水の後、彼らから分かれ出た。」(創10:32)
 
「創世記」当該章をご覧になればわかるように、本ブログでは兄弟の順番を変えて記しています。昨日の記事にてわたくしは、ノアの台詞他からハムは末子であろう、と考えました。それと同じ理由であって、それ以外の理由はございません。
 3兄弟の子孫が列記されます。が、本ブログ開設当時にこれを書いていたらわからなかったけれど、逆にいまだからこそ馴染みのある固有名詞が幾つも出て来ていることにお気附きいただけたと思います。ヤフェトの子孫は沿岸地域の地名として「サムエル記」や「列王記」他でわれらは接してきました。ハムの子孫は出エジプト以後カナン進攻、イスラエル王国の誕生と分裂、衰退と滅亡、その後も文学書や預言書の端々で目にしてきたイスラエル/ユダ、エルサレムに良くも悪くも縁ある固有名詞と重なります。
 イスラエルを取り巻く地勢、国家がいずれもノアの3人の子供たちから出た、という点に着目して読み進んでゆくと、面白いと思います。
 長子セムの系図の詳しくは次の章で改めて述べます。結論だけ先に申せば、セムはアブラハムの祖、血はヤコブを経て遠い時代まで継承されてゆくのであります。



 はい、と差し出された一枚の紙切れ。その子はペンを一緒に突き出して、これに必要事項を記入の上、役所窓口まで持参し提出せよ、という。
 どうして? そうわたくしは訊く。
 相手は答える――だっていつまでも事実婚じゃ子供の手前よくないでしょ?
 そうか、と首肯して書類に書きこみ、バスに乗って役所の然るべき窓口へ行く。戸籍上も晴れて夫婦となった。
 くだらないけれど、これが求めてやまぬ夢の最終着駅。フォーラム以後逢っていないけれど、あの人はこの夢を果たしたのだろうな。◆

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