第1418日目 〈創世記第16章:〈ハガルの逃亡と出産〉with既に他人事。〉 [創世記]

 創世記第16章です。

 創16:1-16〈ハガルの逃亡と出産〉
 アブラムがカナン地方に住んで10年経った。夫婦の間には未だ子供がなかった。
 或る日、サライは夫に側女を持つよう奨めた。せめてわが子と呼べる者を欲しいの一心からであった。アブラムはこの提案に乗り、妻が所有するエジプト出身の女奴隷ハガルを召した。
 やがてアブラムの子を宿したハガルは途端、サライを見下し、これを軽んずるようになった。サライはそれに耐え得ず、夫のところへ行って訴えた。曰く、あの女は自分が妊娠したのをいいことに私へ横柄な態度を取るようになりました、それもこれもあなたが悪い、どうか主が私とあなたの間を裁かれますように、と。
 アブラムが、あの女はお前の所有ではないか、というと、サライはハガルをいじめ抜いた。ハガルはそれに耐え得ず、主人(あるじ)夫婦のところを逃げ出した。
 すると、主の御使いが現れて、荒れ野の泉の畔、シェル街道沿いの泉の畔にてハガルと会った。どこから来たのか、どこへ行こうとしているのか。
 ハガルは事情を説明した。御使いは、女主人の許に帰って従順に仕えよ、といった。わたしはあなたの子孫を数えきれぬぐらいの数にする。あなたは安心してお腹の子供を産みなさい。主はあなたの願いを聞き入れたゆえに、その子はイシュマエルと名附けられる。イシュマエルは「主は聞き入れる」の意味だ。かれはあらゆる人に対して拳を振りあげる。かれは兄弟すべてに敵対して暮らす。主の御使いはハガルにそういった。
 ハガルは自分へ語りかけた主の御使いに、あなたこそ私を顧みられる神(エル・ロイ)、と呼んだ。「神がわたしを顧みられた後もなお、わたしはここで(神を)見続けていたではないか。」(創16:13 ()内筆者補語)
 カデシュとベレドの間にあるその井戸は「ベエル・ラハイ・ロイ」と呼ばれる。
 ――やがてハガルは男児を産んだ。児はイシュマエルと、父により命名された。イシュマエルが産まれたとき、アブラムは86歳であった。

 自らの意志で女奴隷を側女に推しながら、相手が身籠もるとその精のヌシである夫を詰る妻サライ。挙げ句に、「主がわれらの間を裁くように」と一種の呪いとも脅しともつかぬ台詞を放つ。
 どうしてだろう? 奴隷の腹を借りて自分たちの子供を孕ませよう、というのが、彼女の目的であろうはずなのに、どうしてここで妻の提案を受け入れた夫に言い掛かりの矛先を向けるのか。
 それとも、妊娠の事実を以て女主人たる自分を蔑ろにし、あわよくば妻の座を奪い家の相続権を手中に収めようと企んだのであろうか、このハガルは?
 ――ふぅむ、女性って怖いね。底知れないや。
 本文を読んでいての疑問。唐突に触れられる「その井戸」とはなにか? ここで井戸とありますが、実のところ荒れ野の泉、シェル街道の泉を指して「その井戸」というのがそれである、と考えるのがいちばん自然なようであります。「ベエル・ラハイ・ロイ」とは「わたしを見てくださり、生きておられる方の井戸」と訳される由(ティンデル『創世記』P159 いのちのことば社)。
 なお、ハガルはこのときエジプトへ戻ろうとしていた様子があり、シェルとはネゲブ砂漠の要害であり、と同時にエジプトの北東の国境に広がる荒れ野でありました。
 主の御使いはこのあと旧約聖書のなかで何度か出てまいりますが、イシュマエルの家の繁栄を約束したことで、主自身と同定して差し支えないでしょう。



 会社と聖書読書&原稿書きで一日の過半が潰れる日が続く。役職に就き、他業務兼務が始まった関係上、退勤時間は幾らか遅くなりもしよう。
 そのなかで自分に課した読書のノルマは、今月中に『ねじまき鳥』第3部を読了すること。いや、本当にね、そろそろページ・ノルマを増やさないと、年内に『海辺のカフカ』へ手を伸ばすことが難しくなっちゃうんですよ。
 聖書も読んでゆかねばならぬし、さて、この計画、いったいどんな結末を迎えるのでしょう。もはや他人事に等しい物言いになっているのは重々承知しております。えへ。◆

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