第1424日目 〈創世記第20章:〈ゲラル滞在〉with忙中閑の企み〉 [創世記]

 創世記第20章です。

 創20:1-18〈ゲラル滞在〉
 ソドム滅亡後、アブラハムたちはネゲブ地方に移ってカディシュとシュルの間に住んだ。ゲラル滞在中、かれは妻に、この地ではわたしを兄と呼んでほしい、と頼んだ。妻サラはそうした。
 エジプト同様、彼女の美しさは広く知られるようになり、やがてゲラルの王アビメレクの耳に入った。王はサラを召した。
 その夜、アブラハムの神が王の夢に現れて、あなたはサラゆえに死ぬ、その女は夫ある身だから、と告げた。
 そのとき、アビメレクはサラにまだ指一本触れていなかった。王はアブラハムの神にいった。曰く、――人妻と知っていれば召したりしなかった、彼女を<妹>と偽ったのはアブラハム自身だ、わたしは少しも後ろめたくなく、ましてやましい方法で彼女を妻にしたのでもない、と。かれは己の潔白を訴えた。
 わかっている、承知している、と、アブラハムの神はいった。あなたがサラに指一本触れなかったのは、あなたに罪を犯させたくなかったからだ。さあ、彼女を夫に返しなさい。「彼は預言者だから、あなたのために祈り、命を救ってくれるだろう。しかし、もし返さなければ、あなたもあなたの家族も皆、必ず死ぬことを覚悟せねばならない。」(創20:7)
 翌る朝、アビメレクはアブラハムを呼んでこの件についてかれを詰った。わたしとわたしの王国に大それた罪を犯させるつもりだったのか。
 アブラハムはサラを妻でなく妹と呼んだ理由を述べた。「この土地には、神を畏れることが全くないので、わたしは妻のゆえに殺されると思ったのです。事実、彼女はわたしの妹でもあるのです。わたしの父の娘ですが、母の娘ではないのです。それで、わたしの妻となったのです。かつて、神がわたしを父の家から離して、さすらいの旅に出されたとき、わたしは妻に『わたしに尽くすと思って、どこへ行っても、わたしのことを、この人は兄です、と言ってくれないか』と頼んだのです。」(創20:11-13)
 ゲラルの王アビメレクはアブラハムにサラを返した。羊や牛、男女の奴隷を与え、領内の好きなところに住め、といった。またサラには、一夜の疑惑を晴らす証拠としてアブラハムに銀1,000シェケルを贈ったこと、よって彼女の名誉は回復されたことを伝えた。
 ――アブラハムが祈ると、神はアビメレクとその妻、女たちを癒した。これにより再び子を作り、産むことが出来るようになった。というのも、「主がアブラハムの妻サラのゆえに、アビメレクの宮廷のすべての女たちの胎を堅く閉ざしておられたからである。」(創20:18)

 エジプト滞在(創12:10-20)の語り直しと見えるが、こちらの描写の方が詳しい。ゲラル時代のアブラハムには重要なエピソードが連続するためであろうか。人と土地の結びつきを堅固にさせるための作為かもしれない。
 サラの件、アブラハムはゲラル滞在時と同じ弁明を、エジプトでもしていたのだろか。偽りの真意はわかりかねる。が、発端といえる土地移動の理由は、かれらが遊牧民であることの証しであります。
 なお、ゲラルはペリシテにあり、ガザの南に位置する(ここでは)地域。カナンの南境に横たわる地帯がゲラルだ。
 引用した創20:10「かつて、神がわたしを父の家から離して、さすらいの旅に出されたとき」とは創12:1「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい」を踏まえた表現であることを、備忘を兼ねて記しておきます。



 江戸時代の文学を専攻した名残で岩波文庫の黄帯や同書肆の新旧日本古典文学大系、小学館の日本古典文学全集他がいまでも書架に鎮座坐している。図体ばかりデカくて場所塞ぎなジャンルの筆頭格というてよい。が、如何せんその手前にSFやら幻想文学やらのジャンル小説が盾を持った兵隊のように整列してるため、古典の本は滅多に手にすることのできぬものとなっている。
 仕事帰りに立ち寄った古書店で『橘曙覧全歌集』(岩波文庫)を、所持しているかどうかわからぬけれどページを開いたときに湧き起こったノスタルジーと意欲と偶々目についた短歌の魅力に抗いきれず、重複を覚悟で購入しました。明日の休みに時間を作って読み耽ろうと考えています。
 聖書を読み終わったあとはなにを読もうか、と考えることもいまからしばしばなのですが、思い切り近世期の文学へ耽溺してみるのも(年齢的にも)悪くないかもしれないな、と企んでいるのです……。これが忙中閑の企みであります。◆

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