第1431日目 〈創世記第26章1/2:〈イサクのゲラル滞在〉&〈井戸をめぐる争い〉with『スプートニクの恋人』を読み始めました。〉 [創世記]

 創世記第26章1/2です。

 創26:1-14〈イサクのゲラル滞在〉
 再びネゲブ地方を飢饉が襲った。そのため、イサクはゲラルにいるペリシテ人の王アビメレクのところへ行った。その際の主の言葉はこうであった、――
 エジプトへ下ってはならない。もしあなたがこの地に留まるならば、わたしはアブラハムに誓ったように、あなたを祝福し、あなたの子孫を増やして栄えさせよう。これらの土地をかれらに与えよう。諸国民はあなたの子孫によって祝福を受けることだろう。あなたの父アブラハムがわたしの声に聞き従い、わたしの戒めや命令、掟や教えを守ったからだ。
 斯くしてイサクはゲラルに留まった。
 ゲラル滞在にあたってイサクには懸念があった。妻リベカの美しさゆえに自分は殺害されるのではないか――それが為にイサクはリベカを<妹>と称して、ゲラルでの日々を過ごすことにした。誰もがリベカはイサクの妹と信じ、妻と疑う者はなかった。
 ……ゲラルでの生活が長くなった或る日のこと。アビメレクが窓の下を見ると、イサクとリベカは仲睦まじく戯れていた。びっくりした王がイサクを呼び出していうには、彼女は妹ではなく妻ではないか、なんと大それたことをするのか、われらを罪に陥れる気か、と。イサクは事情を告白し、アビメレクはすべての民に勅令を出した。即ち、イサクとその妻リベカに危害を加えし者は何人と雖も死刑に処す云々。
 「イサクがその土地に穀物の種を蒔くと、その年のうちに百倍もの収穫があった。イサクが主の祝福を受けて、豊かになり、ますます富み栄えて、多くの羊や牛の群れ、それに多くの召し使いを持つようになると、ペリシテ人はイサクをねたむようになった。」(創26:12-14)

 創26:15-25〈井戸をめぐる争い〉
 ――ペリシテ人はかつてアブラハムが掘った井戸をことごとく埋めてしまっていた。
 或るとき、アビメレクがイサクに、あなたはいまやわれらより強くなった、どうかここから出ていってほしい、といった。イサクはそれに従ってアビメレクのいるペリシテ人の国を去り、ゲラルの他の地域に天幕を張って住んだ。
 そこにはかつて父アブラハムが掘り、ペリシテ人が埋めた井戸があった。イサクはそれを掘り直して使い、水が豊かに出るまでになった。それを知ったゲラルのその地方の羊飼いが、井戸から出る水はわれらのものだ、と主張した。このことでかれらとイサクの羊飼いたちは争うようになった。件の井戸はエセク(争い)と名附けられた。
 同じことがもう一つの井戸についても起こった。そちらの井戸はシトナ(敵意)と名附けられた。
 イサクはそこを去り、新しい場所に移って天幕を張り、住んだ。そこにも、かつて父アブラハムが掘ってペリシテ人が埋めた井戸があった。イサクはそれを掘り直して使い、水が豊かに出るまでになった。それを知ったその地方の誰彼が来るかと思いきや、今度は誰も来なかった。争いは起こらなかった。井戸はレホボト(広い場所)と名附けられた。イサクの感謝の言葉、――「今や、主は我々の繁栄のために広い場所をお与えになった。」(創26:22)
 ――イサクはそこを去ってベエル・シェバに上った。その夜、かれの前に主が現れて、恐れるな、わたしはあなたと共にいる、といった。イサクはそこに祭壇を築き、主の御名を呼んで礼拝した。かれはそこに天幕を張って住み、かれの僕たちはそこに井戸を掘った。

 アブラハムのゲラル滞在の挿話にも登場したペリシテ人のアビメレク王(創20)。本章でも同じ地方の同じ名前の王が登場するので、一瞬同一人物かと錯覚します。同一人物とする考えもあるが、時間の隔たりを考慮に入れて同名の別人、しかしながらおそらくは親子であろう、とする考えの方が濃厚なようです。創20がイサク誕生前のものであることなど時間の経過を視野に入れれば、やはり同名の親子と判断するのがいちばん自然でありましょう。
 水をめぐる争いが起こりました。水の確保は命にかかわることであると共に、水は今も昔も重要な資源でありました。石油もガスも重要な資源であることに変わりはありませんが、それらは将来的に他の資源に転換することが可能でしょう。
 が、水ばかりは他のなににも転換することのできない資源です。そうして水はわれら生きとし生けるもの皆例外なくその恩恵を受ける命の糧であります。裏を返せば、水を取りあげられたら生きとし生けるものは皆例外なく死に目を見ることになるわけです。それゆえに砂漠のネゲブ地方やゲラルにあってアブラハムは井戸を掘って水を確保し、ペリシテ人は井戸を埋めて使えなくして息絶えさせよう、少なくとも他の地に追いやろう、と考えるのです。
 水をめぐる争いは熾烈です。それは洋の東西いずれも等しく烈しかっただろう。水資源をめぐる争いは既に旧約聖書、しかも「創世記」の時代から存在していたことを教えてくれるのが、本章であります。
 本章を契機に、世界の水問題についていろいろ調べてみるのもいいかもしれません。



 『スプートニクの恋人』を読み始めました。さくさく読めて、なんだろう、このちょっと力を入れたら砕け散ってしまいそうな、躯体の脆さと表面の滑らかさは。明らかに『ねじまき鳥クロニクル』とは違う手触り。
 でも、結構この作品も好きかもな、と思い思いしつつ、寝る前の1時間程度をこれの読書に費やしております。ファンの間の評価はさほどのものではないようですが、どうやらぼくは評価が低いとされる作品を好む傾向がある様子。
 まぁ、小説なんて難しいこといわずに楽しんで読むものだからね。好き嫌いが他と異なるのは当然の話。『スプートニクの恋人』を読んでいて、つくづくそう思います。

 問)七転八倒してみても『ねじまき鳥クロニクル』の感想が書けません。どうしたらいいでしょう?
 答え)いまは無理でも、あとでそれなりのものが書ければいいんじゃない?◆

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